「高等学校政治経済/経済/物価の動き」の版間の差分

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{{コラム|平成の「長期デフレ」は疑問視されている|ref>[https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je12/h10_data05.html 長期経済統計 物価 - 内閣府]</ref> <ref>[https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2107/12/news001_3.html 本当に日本は「デフレ」なのか、「物価」から見る日本の「実質的経済」の実力 「ファクト」から考える中小製造業の生きる道(5)(3/4 ページ)2021年07月12日 11時00分 公開, 小川真由/小川製作所,MONOist ] </ref>
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このデフレ・スパイラルが悪循環となって、景気を低迷させ続けかねない、というのが、近年の定説である。(検定教科書でも、そういう立場である。)
 
{{コラム|平成の「長期デフレ」はやや疑問視されている|
「デフレ・スパイラル」の検定教科書で説明しているような意味は、本当はウソかもしれず、単に2002年の「総合デフレ対策」のための政府見解なだけでしかないかもしれない。
 
 
2000年以降、世間での通説では「デフレを放置しつづけると不況が深刻化」みたいなのがデフレ・スパイラルの定義とされ、その実例が平成の長期不況だといわれるが、しかしそもそも令和の2020年代から振り返ると、平成の日本経済は、デフレ(物価下落)というよりかはディスインフレ(物価が上昇してない)というのが統計的な事実であった。
 
実際、内閣府の統計で西暦2000年を基準とした[https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je12/h10_data05.html 内閣府の消費者物価指数の統計]を見ると、1992年以降から2010年まで100%±2%の程度を推移しつづけているのが実態である<ref>[https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je12/h10_data05.html 長期経済統計 物価 - 内閣府]</ref>。
 
こういう分析は別にwikiのオリジナルではなく、たとえば大学1年レベルの普通の経済学の教科書でも(たとえば有斐閣(ゆうひかく)アルマの経済学シリーズ)、統計などをもとに、そもそも平成の日本経済が言われてるほどデフレでないことは普通に周知されている。(物価の基準を西暦何年に取るかによって物価指数の値は変わってしまうので一概には「デフレでないとは」言えない。)
 
内閣府のサイトを信用するなら昭和の好況だといわれた1980年代(物価は80~95%)よりも、むしろ平成の100%台のほうが物価は高い。
 
 
もちろん、第二次世界大戦の終わった戦後の復興期の日本でのインフレと比べれば平成には物価上昇率が低下またはゼロ付近になったが、しかし平成のそれは正確には「物価下落」(デフレ)ではなく「ディスインフレ」(非インフレ)というべきである。
 
つまり、仮に平成の不況の原因が物価だとしても、それは「ディス・インフレによる不況」にすぎず、けっしてデフレ不況ではない。
 
その他、[https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2107/12/news001_3.html ITメディアの経済記事]でも似た分析があり、引用すると下記のように、
:「このようにして物価と経済が連動して縮小し続けることを「デフレスパイラル」と呼びます。
: 図4を見る限りでは、日本以外の先進国は軒並み物価が上昇し続けているので、「インフレ」であることが分かります。一方で、日本の物価は横ばいです。「継続して物価が下落し続けている」というわけでもないので、デフレスパイラルとまではいえません。むしろ、ここ数年ほどは若干上昇傾向なので、「極めて穏やかなインフレ」ともいえます。」<ref>[https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2107/12/news001_3.html 本当に日本は「デフレ」なのか、「物価」から見る日本の「実質的経済」の実力 「ファクト」から考える中小製造業の生きる道(5)(3/4 ページ)2021年07月12日 11時00分 公開, 小川真由/小川製作所,MONOist ] </ref>(以上、引用)
と分析している。
 
そして2013年になれば、日本は自民党の安部政権でインフレ誘導をし始めたので、もう2013年以降からの日本の不況はデフレとはあまり関係ない。
 
 
平成の1990~2010年のこの時期、欧米の諸外国では物価指数がプラス気味でインフレ傾向だったので、もしかしたら「欧米先進国と比べて物価指数が低ければ不況になるのでは」という仮説はあるかもしれないが、しかしそれは「デフレ・スパイラル」の定義とされる物価の下落がさらなる次の物価下落と不況を呼ぶという理論とは何の関係もない。
 
このように、「デフレ・スパイラル」はあまり現実の長期統計を説明できていない。
 
 
1990年以前、経済学においてインフレ不況の理論はあったが、デフレ不況の理論は乏しかった。なので、学問の改革をしようと経済学者たちはデフレ不況の理論を1990年代に精力的に研究して構築した。それ自体は素晴らしい研究業績である。戦前の日本での松方デフレやらの研究などもこの時代に進んだようであり、多くの学問的な業績が出ただろう。
 
しかしそれは、けっしてその研究当時の平成が長期デフレであったことの証拠にはならない。
 
たとえば明治時代の日本では文明開化によって欧米の考古学を導入したので古代日本の研究が進んだが、しかし明治時代は縄文時代ではない。犯罪心理学の研究者は犯罪者ではないし、推理小説の作家も犯罪者ではない。そもそも、江戸時代に国学者の本居宣長(もとおり のりなが)は平安時代の文学を研究したが、しかし江戸時代は平安時代でもない。
 
なのに、なぜ平成の経済学者がデフレ研究をすると、それだけで「平成時代はデフレ」という証拠として採用するのか、意味不明な思考回路である。
 
 
2002年に日本政府は(日本は)「デフレ・スパイラルに陥っている」と発表したといわれ、不況打開のための「総合デフレ対策」を発表した<ref>[https://www.chuo-u.ac.jp/usr/kairou/programs/2002/2002_06/ 教養番組「知の回廊」20 「日本経済のゆくえ」 中央大学 ] </ref>。しかし、前提となるその政府の分析は上述コラムのように、2020年代の現代から見ると少し疑問がある。
 
たしかに1997年から見れば、デフレ傾向ではある。1997年から2002年まで、物価指数は減少を続けているし、97年の拓銀の破綻や98年の長銀の破綻で日本経済は不況ムードになった。
}}
 
 
{{コラム|「デフレ・スパイラル」の本当の理解には微分積分が必要|
「デフレ・スパイラル」の検定教科書で説明しているような意味はそもそも当は大ウソである。本当は、経済学的には「デフレ・スパイラル」という言葉じたいには、不況か好況かは関係なく(どちらでもいい)、現在のデフレによって未来のデフレの程度が強化される現象のことが「デフレ・スパイラル」の本来の意味である可能性すらある。(※ 参考文献: 『小室直樹の経済原論』、初版は1998年11月、)。ただし、『小室直樹の経済原論』が出た当時、日本が不況だったので、小室はその原因をデフレに求めているが。
 
 
本来の経済学とは、数式を用いて、具体的な数値や解を求めるものである。そうでないと、経済政策などで財務省や日本銀行などが、さまざまな予算などの具体的な金額を決めるための参考として経済学を参考にする際に、経済学が具体的な数値を出せなければ、なんの役にも立たない。なので、本来の経済学では、数式が必要なのである。
 
なにも、決して物理学の公式のような永久不変の通用する方程式でなくてもよく、ここ数十年にしか通用しない近似式でもいいが、ともかく数式を立てないと、実務としては何の役にも立たない。
 
 
デフレ・スパイラルの対義語として「インフレ・スパイラル」という用語も1990年代の過去に小室の書籍などで提唱されており、このインフレ・スパイラルによって、1989年の不動産バブル崩壊までの物価上昇を説明する言説なども1990年代には あった。たとえば、
:: 地価が上がる → 値上がりを期待して不動産屋が買い占める → ますます地価が上がる → ますます不動産屋が土地を買い占める → ……
とか
:: 物価が上がる → 貨幣への期待が下がる → ますます物価が上がる → ますます貨幣への期待が下がる → ……
のような現象を「インフレ・スパイラル」と呼んでいたわけだ。
 
デフレ・スパイラルの本来の意味は、上記の土地と不動産屋の例の逆のような現象が起きるだろうという予想であり、つまり、
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という予想が、本来の「デフレ・スパイラル」の意味であった。
 
数学では、このような2つの要素(たとえば「物価」と「貨幣への期待」)の変化予想のモデルは、微分方程式の変数を2つにすることにより(たとえば「物価」を変数 <math>x</math> と置き、「貨幣への期待」を変数 <math>y</math> として、関数 <math> f(x,y) </math> を微分積分で記述すればいい)、予想を数学的に記述できる可能性があるので、予想をのちに統計などによって検証もできるようにな可能性がある。(ただし、そのような数式的にインフレやデフレを予想する方程式を作ろうとする試みは失敗した)
 
 
この本来の「インフレ・スパイラル」や「デフレ・スパイラル」の意味のほうが、経済学的には、不況になるかどうかの主観的な判断もなく客観的であり、そのため数式にもしやすく、本来の意味のほうが数理的にも経済学的にも望ましい。
 
 
しかし、デフレ・スパイラルの用語が流行した1990年代、日本で不況が深刻化したので、当時の経済評論で、不況と本来の意味の「デフレ・スパイラル」を関連させる言説が流行していくうちに、いつしか世間では、「デフレ・スパイラル」の意味が変わり、不況とデフレが同時進行することに意味が変わっていった。
 
なので、検定教科書などにある「デフレ・スパイラル」の意味は、経済数学などでは、なんのあまり意味も無い。本来の意味は、たとえば物理学では、質量の近い2つの天体の運動では、天体Aの位置によって重力を介して天体Bの運動が影響され、いっぽう天体Bの位置により同様に天体Aの運動も影響されるような現象を、数学の連立の微分方程式などで表せるように、「インフレ・スパイラル」や「デフレ・スパイラル」とは、物価と経済環境との関係を、数学の連立の微分方程式のようにモデル化しようとしたものであった。(ただし、そのような数式的にインフレやデフレを予想する方程式を作ろうとする試みは失敗した)
 
 
日本では1990年代には経済学者の小室直樹などがデフレ・スパイラルとインフレ・スパイラルを本来の意味で使っていたが、小室の痛烈なマスコミ批判によって小室はテレビなどでは取り上げられず不遇であり、テレビの経済番組やその手下たちの経済評論では、表面的に「デフレ・スパイラル」の経済学的な原理を知らない評論家たちによって流行語として取り上げられるようになっていたのである。また、世間の大衆は、数学の連立の微分方程式などを理解しないので、本来の意味では理解できない。
 
世間の大衆は、1990年代当時の経済学者の書いた本など読まないので「デフレ・スパイラル」の本来の意味など確認しようともしないので、意味が修正されずに、現在まで続いている。
 
 
日本のセンター試験や大学入試などに出てくるような経済史の暗記などは、本来の経済学とは全くの別物である。本来の経済学は、微分積分などを使って、経済を数式で表すことにより、政策などのために、投資額や予算などの具体的な金額を算出するための理論体系が経済学である。
 
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:しかも、頭の残念な大学教員たちは「学生の払う学費のインフレはケシカラン」などと言うくせに、けっして、国民の教育費を下げようとする努力は一切せずに、たとえば大学以外の場所で無償ボランティアのような授業は'''しない'''し、また、多くの大学教員は無料のネット教科書なども公開'''しない'''でいる。そのくせ、彼ら大学教員は、政治家や財務省などに大学学費の相場の高騰(こうとう)の責任をなすりつけようとするのだから、彼らのような大学教員たちは偽善的であり、人間性が腐っている。
:(しかし日本では、このような自己中心的な教員たちの行う教育が、多くの国民からは称賛されており、そもそも国民の多くの人間性が腐っている。よく、大学の資金難についての有権者の意見で、「大学の学者に、もっと多くの研究資金を与えるべきだ」などという有権者は多いが、しかし彼ら自身少なくない有権者は、そのために税金を増やす事には反対する。また、彼ら有権者の多くは、寄付を大学や学者に1円たりとも払わない者たちが大半である。
:国からの補助金には、財源として税金の徴収が必要である。それは、たと学術研究のための補助金であろうが、例外ではない。
:あなた達の保護者も、人間性が腐ってるのだろう。保護者のなかには、「大学卒」の肩書を称賛して子供に大学進学をすすめるくせに、自身は大学レベルの教科書を人生で1冊も読んでないような、腐った保護者も多い。)