「学習方法/高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
マルクス以降の時代に作られたケインズ経済学を用いて、マルクスの著作が説明していることを分析することは、すでに置塩信雄という経済学者が20世紀に終えています<ref>[https://www.jstage.jst.go.jp/article/peq/50/4/50_KJ00009324926/_pdf/-char/ja 『置塩経済学と森嶋経済学』]</ref>。
→‎経済学: 現代の経済学教育で、とくに大学1年生に基礎・基本だと思われているのは「マクロ経済学」および「ミクロ経済学」という二つの科目です。 あるいは、「入門経済学」などの題名かもしれませんが、大学教科書などとして使われているものの場合、これはマクロ経済学とミクロ経済学の基礎的な話題を適度な割合で混合した教科書です。
64 行
本来なら森嶋やサムエルソンや置塩などの研究こそが「社会主義経済学」として語られるのが理想的かもしれませんが、しかし実際はそうではなく、経済学とは名ばかりの、「マルクスが何を言ったか?」といったような歴史学や文献学のような内容であるのが実態です。
 
 
 
現代の経済学教育で、とくに大学1年生に基礎・基本だと思われているのは「マクロ経済学」および「ミクロ経済学」という二つの科目です。
 
あるいは、「入門経済学」などの題名かもしれませんが、大学教科書などとして使われているものの場合、これはマクロ経済学とミクロ経済学の基礎的な話題を適度な割合で混合した教科書です。
 
そもそも大学の経済学の低学年での基礎教育において通常、アダム・スミスなどの古典は読みません。経済学は、古典を訓読する学問ではないからです。
 
歴史学では、原典を史料として読むことにも価値はあるかもしれませんし、そのような態度が「実証的」といわれるかもしれませんが、しかし経済学は歴史学ではありません。
 
歴史学の史料批判で「実証的」といわれる方法は、あいにく経済学では「実証的」ではないのです。
経済学では、マンキュー批判の例のように、現実の経済統計によく適合することこそ「実証的」です。
 
 
また、経済学が研究するのは経済のメカニズムであり、そのため、通常、現代の21世紀の経済学が話題にするのは、19世紀~20世紀以降の経済です。
 
中世や古代の経済は、少なくとも入門分野では深くは学びません。中世の経済などは、どちらかというと歴史学の分野かもしれません。
 
 
ケインズの利子の理論は、現代でもマクロ経済学の教科書に書かれていますが、しかしだからといって、ケイズンの論文を読む解くようなことは、少なくとも経済学部の低学年では行わないと思います。
 
たとえば数学や物理学の勉強では、大学レベルの勉強では、通常はいちいちガウスやニュートンの論文を読むとく必要がないように数学教科書が作られているのと同じです。
 
ガウスの論文そのものを読むとくのは、数学史も研究している一部の数学者の仕事です。
 
 
経済理論家の論文や著作のなかには、たとえばマルクスのように経済学者以外の政治評論家や歴史学者などにも興味を多くもたれているものがありますので、歴史学の史料批判的に読み解くことも歴史学的な意味はあるかもしれませんが、しかし数学の場合と同様にそれは経済学の基礎理論ではないことに注意しましょう。
 
ケインズ自身はあまり教育者ではなく、ケインズの理論などを大学の学部生むけの経済学教科書としてまとめた人物はサムエルソンという経済学者です(米国でのサムエルソン『経済学』の初出は1948年)。
 
サムエルソンが、現代にもつながるミクロ経済学とマクロ経済学とを、とりあえず体系化したといえるでしょう。
 
マクロ経済学の要素の学説そのものはケインズの学説が土台ですが、しかしケインズは教育者ではないので、それを大学生への入門教科書にはしていないのです。
 
 
また、今日で「ケインズ理論」として語られる理論のいくつかは、実は、ケインズの学説のうち、サムエルソンが使えそうなものを取捨選択した理論だったりします。ケインズの非公式な理論のいくつかは、淘汰されています。[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%8F%B2&oldid=81538539 『マクロ経済思想史』2021年1月27日 (水) 09:52 版 ]
 
 
しかし、そのような偉大なサムエルソンについてですら、経済学の低学年ではサムエルソンの論文や著作を読みとくことは、普通はしません。なぜなら論文だの著作だの、そういった文献は、経済統計ではないからです。
 
経済学では、通常の分野では、経済統計こそが根拠です。
 
 
アダム・スミスもマルクスも、共通点として、「商品の価値は、それを生産する労働の量で決まる」というような「労働価値説」を前提としています。
 
しかし、この労働価値説は、供給側の都合しか考えておらず、需要側を無視しているため、現代の主流経済学では不要だとされています。
 
ミクロ経済学で習う「限界効用」などの提唱が「限界革命」だと言われたことには、背景として、「限界効用の理論は、労働価値説を否定するものである」という事情があります。
 
ただし、この限界効用の理論も、21世紀の現代では、「で、どうやってその効用の値を計算するのか?」という問題があります。
 
しかし、読者は中学校や高校などで「需要と供給」という用語や、「需要曲線」、「需要関数」などを習ったと思いますが、そういった現代経済学の基礎にもう、労働価値説とその淘汰といった歴史の結果が含まれています。いちいち古典をさかのぼる必要は、少なくとも入門レベルでは、(必要)ないのです。
 
この「需要供給曲線」の例のように、実は入門的な分野にこそ、過去の偉大な研究の成果が膨大につまっており、しかも手短かに理論が整理されています。
 
また、「現代経済学のできる前の経済史を学びたい」となっても、「労働価値説」などポイントとなる用語が現代経済学の側で用意されていますので、わざわざ アダム・スミスやマルクスなどの著作を長々と読み解く必要は、今はもう、ありません。
 
=== 経営学 ===