「小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代」の版間の差分

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:明治になって、政府は北海道をロシアに近く、また、未開発の土地などが豊富にある重要な土地と考え、{{ruby|開拓使|かいたくし}}(通称:北海道開拓使)をおいて北海道の開拓を進めます。北海道には、兵士として警備・防衛につきつつ普段は農業をいとなむ{{ruby|屯田兵|とんでんへい}}がおかれました。また、戊辰戦争で敗北した藩からの移住なども見られました。明治政府も、{{ruby|札幌|さっぽろ}}・{{ruby|小樽|おたる}}など都市の建設、[[#北海道鉄道|鉄道の導入]]、[[#クラーク博士|学校(札幌農学校)]]や工場の建設などについて、本土に優先して予算を配分した例も少なくありません。
;沖縄
:[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#琉球王国|沖縄は琉球王国がおさめる国]]でしたが、薩摩藩が強い力を持って支配し、同時に清国に朝貢を行う国、つまり、清国の属国でもありました。
:明治になって、琉球王国がどこに属するかが清国との間で問題になりました。1872年(明治5年)、明治政府は、琉球国を「藩」のひとつとして認め<ref>前年に「[[#廃藩置県|廃藩置県]]」がなされているので、異例の処理です。</ref>、日本国の一部と諸外国に宣言しました。1875年(明治8年)、明治政府は「琉球処分」を決定し、清国との間の独自外交を禁じ、本土の法制などに従うよう琉球藩政府に要求しました。このような明治政府の対応に、琉球藩内で抵抗がありましたが、1879年(明治12年)、琉球藩は廃止され<ref>旧琉球国王は、各藩の藩主同様、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#華族|華族]]となって、東京に住むことが強制されました。</ref>、沖縄県がおかれました。