「小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代」の版間の差分

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:;工業
::明治政府は、欧米諸国に追いつくよう、蒸気機関などの動力や、織機などの機械を使った工業をおこす必要がありました。そこで、政府が出資して、近代的工場('''{{ruby|官営模範|かんえいもはん}}工場''')を作りました。
::1872年(明治5年)群馬県にカイコの{{ruby|繭|まゆ}}から{{ruby|生糸|きいと}}を作る{{ruby|富岡製糸場|とみおかせいしじょう}}<ref>2014年世界遺産に登録されています。</ref>が作られ、1873年(明治6年)頃に深川セメント製造所など多くの官営模範工場ができました。<span id="ビール工場">1876年には札幌に[[#開拓使|{{ruby|開拓使|かいたくし}}]]{{ruby|麦酒醸造所|ばくしゅじょうぞうじょ}}というビール工場までできます。
::これらの、官営模範工場は、民間で新たに作る工場のモデルとなり、やがて、民間だけで経営ができるようになると民間の資本家に売却されました。
[[File:First steam train leaving Yokohama.jpg|thumb|250px|浮世絵に描かれた開業当初の鉄道(横浜)]]
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;北海道
:ヨーロッパの一国であるロシアは、17世紀東に兵を進め、ユーラシア大陸北部のシベリアを領土としました。シベリアは、ロシアの中心部からは遠く、また、農業に適していない土地だったので、開発はなかなか進みませんでしたが、18世紀後半あたりからロシア船舶の航海がさかんになり、日本人としばしば接触するようになりました。その頃から日本でも、北海道沿岸でとれるニシンなどを肥料に用いるようになり、北海道でも農業に代えた経済的な価値が発見され、本土からの商人の行き来がさかんになってきます。例えば、{{ruby|函館|はこだて}}市は、そのような商人が江戸時代に開いた街です。また、太平洋側まで領土を広げ、さらに、南下しようとするロシアに対抗して、幕府はこの地域の調査を始めます。{{ruby|間宮林蔵|まみやりんぞう}}は{{ruby|樺太島|からふととう}}(サハリン)を調査し、それが島であることを発見しました<ref>樺太の領有はロシアとの間で争われていて、大陸の一部であると、日本の領有は認めにくいものでした。</ref>。幕末、開国に合わせ箱館(函館)に箱館奉行がおかれています。
:明治になって、政府は北海道をロシアに近く、また、未開発の土地などが豊富にある<ref>北海道が江戸時代初めには認知されていながら、開発が全く進んでいなかったのは、石高制などの基本である稲作に適していなかったからです。明治初期においても、北海道での稲作は難しいものでした。しかし、食生活の変化や鉄道・汽船といった輸送設備が整備されることで、商品作物としてじゃがいも・たまねぎ・小麦・てん菜・ホップ・トウモロコシ・リンゴなどが農業生産の対象となり、また、西洋食の習慣や毛織物が浸透してくると牧畜も成立し、北海道の広大な土地は農業の地として魅力的なものになりました。明治政府は、海外から農業技術の指導者を招くなどして、農業創業・農地開拓を推進しました。なお、稲作については、その後の地道な品種改良などの努力によって、現在では、都道府県別のコメの収穫高で、新潟県と1位2位を争う生産地域となっています。</ref>重要な土地と考え、<span id="開拓使">'''{{ruby|開拓使|かいたくし}}'''(通称:北海道開拓使)をおいて北海道の開拓を進めます。北海道には、兵士として警備・防衛につきつつ普段は農業をいとなむ{{ruby|屯田兵|とんでんへい}}がおかれました。また、戊辰戦争で敗北した藩からの移住なども見られました。明治政府も、{{ruby|札幌|さっぽろ}}・{{ruby|小樽|おたる}}など都市の建設、[[#北海道鉄道|鉄道の導入]]、[[#クラーク博士|学校(札幌農学校)]]や[[#ビール工場|工場]]の建設などについて、本土に優先して予算を配分した例も少なくありません。
;沖縄
:[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#琉球王国|沖縄は琉球王国がおさめる国]]でしたが、薩摩藩が強い力を持って支配し、同時に清国に朝貢を行う国、つまり、清国の属国でもありました。