「学習方法/高校卒業後の社会科公民の勉強ガイド」の版間の差分

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なお、「需要」と「供給」の概念そのものは、マルクスの時代には知られており、たとえばマルクス『資本論』でも用語が使われている<ref>[https://core.ac.uk/download/pdf/71792642.pdf 新田 滋『マルクス経済学と限界分析(一)』、2014] </ref>。
椎楽 (トーク | 投稿記録)
→‎社会学: 前の内容はただの社会学ディスりでしかなく、「社会学とは何か」の説明に全くなっていない記述だったので削除。書き直し(途中)。
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=== 社会学 ===
社会学は高校までの社会科(公民科)およびその他の専門科目にもない学問分野であり、高校を卒業したばかりの場合、いったい何をする学問なのか見当がつかないかもしれません。また、「社会学は社会学者の数だけ存在する」というジョークがあるくらい、社会学の学説は多様であることも手伝って「社会学は何をしているかわからない」から始まって「社会学は学問ではない」とまで言う人もいます。
「社会学」というのは、社会科の公民分野では、ありません。社会全体の性質について、哲学的というか思想というか、独特の手法で分析していくのが、社会学です。もちろん、学者のなかには、統計などを重視して、現在の社会で起き始めている変化を探るという、高校までの公民や地理の延長上のようなことを研究している学者もいますが、しかし、そのような研究は、あまり社会学の主流になっていません。
 
では、本当に社会学は何でもありの得体のしれない学問なのでしょうか。もちろんそうではありません。社会学には社会学の共通した特徴があります。
「社会科」と「社会学」とは名前が似ていますが、まったく別々の学問ですので、間違えないようにしましょう。
 
社会学は、一言でいえば、社会そのものを分析対象とする学問です。そして、社会は当然ながら人間によって構成されています。ですから、必然的に社会学は社会と人間を研究対象とします。これが社会学の厄介な点でもあり、面白い点でもあるのです。なぜなら、社会の中の人間は様々な形で結びついています。例えば、家族・学校・会社・ご近所・趣味のサークルなどの集団も人々の結びつきです。こうした人々の間の結びつきはどうして出来ていったのか、何を媒介とした結びつきなのか、これらの集団を比較することはできないか……。こうしたことを、実際に観察したり、聞き取り調査をしたり、統計的な方法を用いたりして探っていくのが家族社会学・農村社会学・都市社会学など、人間集団を対象とした社会学の分野です。
建前上は、社会学は統計などで実証をする学問となっていますが、しかし形骸化しており、しばしば大学の社会学の教育は、その教授の支持する政治運動を正当化する学問になっています。『学問の自由』があるため、このような学者の教育の私物化を排除できません。
 
出典をきちんと出します。
 
日本における大学での社会学の問題点を的確に表現したwebサイトが、立教大学の『計量社会学』の科目説明で的確に指摘されているので、紹介します<ref>[https://www2.rikkyo.ac.jp/web/murase/metsoc.html 『村瀬 計量社会学』] 2022年2月21日に閲覧して確認.</ref>。
 
※ 以下、引用。
<pre>
心理測定法という学問はあるが、社会測定法という学問は今のところない。そして、調査をしたが分析できない、ということでは研究として成立しない。
 
 社会の構造や社会的地位をどう測定するかは、重要な問題。多くの社会学は、測定や分析に失敗しているので、あやしげな質的調査や、直感での分析、構築主義などの解釈や印象批評に逃げてしまっている。構築主義などは一見おもしろそうに見えても、具体的な測定法や分析法を作ることができなかった学問である。これでは大規模な社会を的確に研究することはできない。多くの記述的社会調査(質的社会調査)は、データの偏りが大きく「木を見て森を見ず」の不適切な研究となる。
</pre>
 
※ 以上、引用。
 
もし、この立教大学のような人の考え方で、社会学の教科書が書かれて入れば、何の問題もありません。ですが、そうなっていない教科書が多く市販されています。
 
さて、社会学において、意図的に統計などをあまり使わずに、柔軟な解釈によって分析しようという「質的調査」という手法があります。これはこれで、問題探索の段階では意義がありますが、しかしあくまで探索の初期段階までです。いつまでも統計を無視するのは、断じて学問的な態度とは言えません。
 
この質的調査が悪用されており、特定の政治思想などに片寄って現実の統計をいつまでも無視したかのような学説が、残念ながら大学レベルの社会学の教科書に残り続けています。
 
先ほどの立教大の計量社会学の科目説明の続きを引用します。
 
※ 引用.
<pre>
なお質的調査も、問題探索の段階では意義がある。ただし、データが偏り社会の、ごくわずかな部分しか見ていないという点と、適切な分析法がないという点については、欠点を克服できていない。この2点について限界があり、これのみでは研究
の最後まで到達して、結論を書き、科学的な論文にすることはできないことは事実である。質的調査のみで、巨大な社会の全体像を把握することはできない。適切なデータがないからといって、いいかげんなデータをもとに研究してはいけない。計量分析ができないから質的研究に逃げる人が多いことも事実だが、そのような姿勢が正しいわけではない。
</pre>
※ 以上、引用。
 
社会学教育の現状を問題視して改革しようとしている人もいますが、しかし2021年の市販の大学レベルの社会学の教科書の書籍を何冊か確認したかぎりは、改革が追いついていません。
 
 
さて、社会学ではなく心理学の問題ですが[[w:再現性の危機]]といって、大学レベルの心理学の教科書などに書かれている基礎的な理論・「法則」などの類が、じつは満足に統計的に追試されていないかもしれないという問題が近年明らかになっており、近年に追試実験をしてみると「法則」の再現性があまり良くなかったりして、主に心理学の分野で大問題になっています。
 
文献『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』(有斐閣)によると、2015年には、すでに再現性問題の議論が始まっていたようです(Open Science Collaboration, 2015)<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P216</ref>。また、医学でも再現性が問題になっているようです(Baker, 2016)<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P216</ref>。
 
 
どうも心理学では、今までまともな追試をせず、あるいは追試によって反証があっても無視したりして、学会やマスコミなどの流行ばかりに基づいて、満足に追試実験をしないで来てしまった分野もあるようです。
 
ただし、こういう問題点が明らかになるという事は、裏を返すと心理学では改革が進んでいるという事でもあります。
 
まともに議論されていない、社会学における再現性の危機こそが、本当の危機です。
 
 
 
 
なお、「質的」と言う言葉を、こういう使い方をするのは別に社会学だけでなく、心理学でも「質的」とは同様の使い方です。細菌は、統計学でも用いますし、数学書でも気の利いた数学教科書なら紹介される場合もあります(たとえば 磯貝英一 ほか『要点解明 統計学 改訂版』、培風館、2019年10月10日 改訂第7刷 発行、P.4 )。
 
何かの心理学や社会学などの社会科学的な実験において、ある行動をした人の人数とか、そういう数値的なデータを「量的」データなどと言います。人間でなくともよく、たとえば迷路実験であるルートを選択したネズミの数や割合などでも、かまいません<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P215</ref>。
 
いっぽう、聞き取り調査などによって得られた録音テープなどを書き起こしたものなどは、「質的」データなどと言います<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P215</ref>。
 
心理学において、心理学が科学的であるためには統計による検証が必要です。だから心理学では、質的データを使う場合もあるものの、量的データのほうに権威の比重が置かれています<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P215</ref>(少なくとも建前(タテマエ)上は)。
量的データに比べて質的データは、客観性を確保するのが難しいのです<ref>サトウタツヤ・渡辺芳之 著『心理学・入門 心理学はこんなに面白い』、有斐閣、2021年5月30日 改訂第7版 第7刷発行、P216</ref>。
 
* 質的→量的 の変換
ただし、質的データのなかには、適切な数値に置き換える変換法によって量的データに変換できるものもあります<ref>磯貝英一 ほか『要点解明 統計学 改訂版』、培風館、2019年10月10日 改訂第7刷 発行、P.4 </ref>。数学書(たとえば磯貝英一 ほか『要点解明 統計学 改訂版』培風館)でも紹介されている、標準的な方法です。
 
たとえば、内閣支持のアンケートの「支持する」、「支持しない」は、
:「支持する」→1
:「支持しない」→0
などの数値に置き換えることで、質的データを量的データに変換でき統計的な計算が可能になります<ref>磯貝英一 ほか『要点解明 統計学 改訂版』、培風館、2019年10月10日 改訂第7刷 発行、P.4 </ref>。
 
 
* 政治学も統計を迫られている
20世紀初頭の米国シカゴ学派の法学者・政治学者メリアムという学者の理念が、法制度研究において歴史学的な編成を記述するだけでは不適切という理念であり、心理学や統計学を駆使した研究をすべきだという理念をメリアムは提唱している<ref>吉野篤『政治学 第2版』、弘文堂、2018年(平成30年 ※原著で併記)2月28日 第2版 第1刷発行、P56</ref>。
このような科学的な態度にもとづく米国政治学は、投票行動や世論の研究において成果をもたらし、1967年には政治学者イーストンらによって『行動論政治学』という分野として成立した<ref>吉野篤『政治学 第2版』、弘文堂、2018年(平成30年 ※原著で併記)2月28日 第2版 第1刷発行、P57</ref>。
 
こうした分野は近代経済学のように、必ずしも数理モデルにできるとは限りません。そのため、「数理モデルこそ科学!」と信じ込んでいる人には非科学的であるかのように思われるかもしれません。
 
=== 本章のまとめ ===