「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分

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このアメリカでの暴落が起きた日が木曜日だったことから、「暗黒の木曜日」つまり英語に直すと「ブラック・サーズデイ」(black Thursday)とも、言うようになった。アメリカでは、労働者の4人につき1人が失業した(失業率25%)。
 
そして日本では、多くの会社が倒産した。このため、三菱や三井・住友などの財閥が倒産した会社の事業を吸収した。だが、このことによって、財閥が大もうけしていると庶民から見られるようになり、財閥が敵視されるようになっていった。
=== 日本の状況 ===
日本では世界恐慌の前から、すでに大戦景気の終わりによって不景気になっていた。日本では、世界恐慌(※ 1929年に起きる)の起こる前から、たびたび日本国内で不景気による恐慌が起きていた。1923年には関東大震災で、経済も大きく傾いた。
 
日本では1927年に、多くの銀行の倒産や休業があいつぎ、取り付けさわぎも起こって、'''金融恐慌'''(きんゆう きょうこう)が起きていた。(※ 昭和戦前の「金融恐慌」を覚えさせるは中学範囲外だが、高校で覚えさせられるので、覚えた方が良い。この用語自体は、中学の検定教科書にも書いてある。)
 
このような日本国内の金融恐慌にくわえて、さらに世界恐慌が1929年に起きたので、日本は大きく不景気になった。
アメリカ向けの生糸などの輸出をしていたので、日本も世界恐慌の影響を強く受けた。その上、さらに世界恐慌がやってきて、日本はとてつもなく不景気になった。
 
そして日本では、多くの会社が倒産した。このため、三菱や三井・住友などの財閥が倒産した会社の事業を吸収した。だが、このことによって、財閥が大もうけしていると庶民から見られるようになり、財閥が敵視されるようになっていった。
 
世界恐慌後、日本では農業が混乱していた。まずアメリカ向けの生糸が売れなくなったことから、日本では生糸の原料の まゆ の価格が暴落し、養蚕業(ようさんぎょう)が衰退した。さらに1930年では、豊作で米の価格が暴落し、農家の収入がへり、農家がくるしくなった。そして翌年の1931年には、こんどは凶作で、東北地方を中心に、農村が不況になった。欠食児童(けっしょくじどう)がでたり、娘(むすめ)を身売りさせる家も出てきた。