「小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代」の版間の差分

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:こうしたことを受け、1871年(明治4年)新政府は幕府だけでなく、藩も廃止し、政府が全国を直接治める形に変えました(<span id="廃藩置県"/>'''{{ruby|廃藩置県|はいはんちけん}}''')<ref name="新政府"/>。また、'''四民平等'''<span id="四民平等"/>をうたって、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#武士と庶民|「名字帯刀」などの武士の特権]]を否定しました。廃藩置県によって、武士の世の中は完全に終わりました。
:「農工商」と言われていた庶民<ref>明治の戸籍においては「家」が単位となりました。戸籍に、もともと武士であった「家」は、「士族」とされ、その他、「農工商」の庶民の「家」は「平民」と書かれました。</ref>も、等しく姓をなのることができるようになり、同年制定の戸籍法に基づいて翌1872年(明治5年)近代的な戸籍<span id="戸籍制度"/>に記録されました。
:新政府は、{{ruby|富国強兵|ふこくきょうへい}}<ref>経済を発展させて軍事力の増強をはかる。うしなければ、欧米諸国の植民地となるという危機感がありました。</ref>・{{ruby|殖産興業|しょくさんこうぎょう}}<ref>経済を発展させるため、西洋諸国に対抗し、機械制工業、鉄道網整備、資本主義の育成により国家近代化を推進する。</ref>をスローガンとして、法律・裁判・軍隊・警察・経済・金融・税制・工業・鉄道・海運・郵便・電信・学校・暦など数多い分野で、欧米を模範にした改革を行いました。
:[[File:Iwakura mission.jpg|thumb|280px|left|遣欧使節団<br/>左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通]]<span id="使節団"/>
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::徴兵令は、士族のプライドを傷つけるものであり<ref>後に起こる、[[#士族の反乱|士族の反乱]]の原因の一つとなります。</ref>、逆に平民にとっては、命をかけて戦うというのは思ってもいなかったことで、多くの国民には不安と不満を持ってむかえられました。
::徴兵された兵士は、日本で6ヶ所に設けられた{{ruby|鎮台|ちんだい}}<span id="鎮台"/>に集められ、厳しい訓練と教育を受けます。そうして、後に述べる西南戦争などにあっても、元武士である士族に対しても戦える近代的軍隊に育ちました。
:;<span id="殖産興業"/>経済・金融
::江戸時代には、貨幣を使って経済を回す仕組み({{ruby|貨幣経済|かへいけいざい}}<span id="貨幣経済"/>)はできあがっていましたが経済の中心はやはり米であり、また、貨幣も、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#江戸時代の文化#両替商|金(小判、分金)・銀(板銀、分銀)・銭(寛永通宝 など)がばらばらに流通する複雑な仕組み]]でした。この頃の欧米諸国は、お金の価値を{{ruby|金|きん}}の価値とする仕組み({{ruby|金本位制|きんほんいせい}})となって、単純で明確なお金の流れが確立し、経済の流れに勢いをつけていました。日本も1871年(明治4年)、新貨条例を制定し、通貨単位を「両」から「圓(円)」に切り替えて本位貨幣を金貨とし、金本位制度を採用することにしました。
::金貨は重量があり、また、そのまま流通させると、傷がついたりしてすり減るおそれがあります。そこで、金貨を預かって代わりに紙の「預かり証」を発行する工夫がなされました。「預かり証」は、預けているところに持っていけば金貨と代えてもらえるので、金貨と同じようにお金として利用できます。この金貨を預かるところが「{{ruby|銀行|ぎんこう}}」です。そして、預かり証が「{{ruby|紙幣|しへい}}」です。銀行は、預かるため安全な金庫を持っていますから、金貨だけではなく、すぐには使わない紙幣も預かるようになります。預かって金庫の中にしまっておいても、預けていた人が、すぐに全部引き出すことはめったに起こりませんから、預かったお金を貸し付けに使ったりします。こうして銀行の仕組みができて、新しい事業を起こす元手を得る方法が新たに加わりました。