「小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代」の版間の差分

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:日本が鎖国をしている間、ヨーロッパやそれを受けたアメリカ大陸では大きな社会変革が起こっていました。
:17世紀のヨーロッパは各地で大きな戦争が起き、そこでは、多くの銃や大砲が使われました。銃や大砲は鉄でできていますから、作るのに大量の鉄が必要となりました。このころまでは、鉄を作るために木炭を使っていたためヨーロッパの国々の森林の伐採が進みました。イギリスでは国内の森林のほとんどが伐採され、木炭は輸入に頼るしかなくなりました。イギリスは、石炭が豊富に取れる国だったので木炭の代わりに石炭を使う工夫にとりくみました<ref>石炭には、イオウやリンが多く含まれていて、製鉄に使うと鉄がもろくなるので、そのまま使うことはできませんでした。</ref>。そうして、18世紀初頭に、石炭を蒸し焼きにしたコークスが発明され、製鉄に石炭が使われるようになります。
:コークスの発明で、大量の製鉄が可能になり、同時に大量の石炭を採掘しなければならなくなりました。石炭は地下資源なので掘りすすめると、地下水が大量に出て、さらに進むことができなくなります。これを解決するのに、'''蒸気機関'''が開発されました。水を温めて蒸気にすると水の体積に比べて何倍も{{ruby|膨張|ぼうちょう}}します、逆に、冷やすと水に戻りますので{{ruby|収縮|しゅうしゅく}}します。この膨張と収縮を交互に行うことで、水を温める熱を運動に変えるのが蒸気機関です。炭鉱では、蒸気機関でポンプを動かし水を汲み出しました。特に1776年ジェームズ・ワットが開発した蒸気機関は、小型で強力なもので、それ以降の蒸気機関の元となりました。
:ワットの蒸気機関は石炭を燃やすだけで大きな力を得ることができ、当時、おこりつつあった'''{{ruby|繊維|せんい}}工業'''の生産力を爆発的に向上させました。繊維工業には、大きく分けて、細かい繊維をまとめて糸にする工程({{ruby|紡績|ぼうせき}})と、糸を縦横に組み合わせて布にする工程({{ruby|織布|しょくふ}})があります。紡績には、細かい繊維をくるくるとより合わせて長い糸を作る作業があり、また、織布には横に交互に張った縦糸に横糸を通して力をかけてまとめるという作業があります。これらの作業は、もともと人力でやっていたため、大量の生産は期待できませんでした。一部には水車を使った水力も使われていましたが、工場の立地が限られるという難点がありました。この動力源として、ともに蒸気機関が用いられるようになったのです。
:また、蒸気機関を動力とした乗り物が開発されました。19世紀の初頭には、蒸気機関を船の動力とした'''蒸気船'''がアメリカ人ロバート・フルトンによって、'''蒸気機関車'''を使った'''鉄道'''<ref>なぜ、「鉄道」だったかを考えてみましょう。車輪をつけた乗り物は、でこぼこ道を走るのは大変ですし、スピードを出せません。でこぼこ道をならして舗装しなければなりませんが、これを、いつも維持しておくのは大変です。そこで、車輪がとおる場所だけ、でこぼこでないようにすればいいと考えたのです。その車輪が通る部分だけ丈夫なもので作っておけば、道全体を常に整備しておく必要はありません。これが、鉄路(レール)の考え方です。この背景には、コークスにより、鉄が安く大量に手に入るようになったことがあります。</ref>がジョージ・スチーブンソンによってイギリスで実用化されました。
:こうして、鉄や、繊維や布といった工業製品を大量に製造し、それを鉄道や蒸気船で大量・安価かつ高速に輸送することが可能になりました。これを、「'''産業革命'''」と言います。産業革命は、イギリスにはじまって、ヨーロッパ各国、大西洋を越えてアメリカでもおこりました<ref>同じ時期に、ヨーロッパやアメリカ大陸では、身分に関係なく人々が国の政治に参加するという、もうひとつの大きな社会変革が起こっていました。この変革については、[[小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代#世界の変化2 - 市民革命|次の章]]でお話しします。</ref>。
:欧米各国は、産業革命で経済力が大きくなりましたが、さらにそれを大きくするため、国内で生産する工業製品の{{ruby|市場|しじょう}}と原材料となる農産物や鉱物資源を欧米諸国の外に求めるようになりました。