「小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代」の版間の差分

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:1918年(大正7年)以降は{{ruby|黄熱|おうねつ}}病の研究に打ち込み、黄熱病の流行地域である南アメリカ各国やアフリカに渡って研究を続けます。しかし、黄熱病の研究中に自身もその病にかかり、1928年(昭和3年)アフリカのイギリス植民地ゴールド・コースト(現:ガーナ共和国) アクラで亡くなります。
:野口英世が偉人とされるのは、
:*庶民の出身であるにもかかわらず、高い能力で医者・研究者の地位についた<ref>大学以上の高等教育を受けさせることは当時の庶民にはめったにないことでした。また、英世の出身地会津は、戊辰戦争で官軍に抵抗し、政府などに関係者も少なく、薩長などの出身者より不利なところもありました。</ref>。
:*体に受けたハンディキャップにも負けず、努力して勉強した。
:*体に受けたハンディキャップにも負けず、努力して勉強した<ref>当時、家が貧しくても、軍隊に入って勉強するという方法もありましたが、英世の場合、このやり方は難しかったと考えられます。</ref>。
:*家柄にかかわらず、高い能力でいしゃ・研究者の地位についた。
:*能力を世に出そうと、周囲の人が協力した。
:*日本ではなく、国外の研究所を拠点として国際的な活躍をした。