「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分
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=== 世界恐慌(せかいきょうこう) ===
[[ファイル:Crowd outside nyse.jpg|thumb|300px|right|アメリカの金融取引所のウォール街(ウォールがい、場所はニューヨークにある)で、騒然(そうぜん)とするアメリカ人たち。]]
1929年に、アメリカで株価が大きく下がった。株価などが大きくさがることを「暴落」(ぼうらく、英:Crash)あるいは「大暴落」(だいぼうらく、英:Great Crash)などという。この株価の大暴落
このアメリカでの暴落が起きた日が木曜日だったことから、「暗黒の木曜日」つまり英語に直すと「ブラック・サーズデイ」(black Thursday)とも、言うようになった。アメリカでは、労働者の4人につき1人が失業した(失業率25%)。
=== 日本の状況 ===
日本では世界恐慌の前から、すでに大戦景気の終わりによって不景気になっていた。日本では、世界恐慌
日本では1927年に、多くの銀行の倒産や休業があいつぎ、取り付け
このような日本国内の金融恐慌にくわえて、
アメリカ向け
そして日本では、多くの会社が倒産した。このため、三菱や三井・住友などの財閥が倒産した会社の事業を吸収した。だが、このことによって、財閥が大もうけしていると庶民から見られるようになり、財閥が敵視されるようになっていった。
世界恐慌後、日本では農業が混乱していた。まずアメリカ向けの生糸が売れなくなったことから、日本では生糸の原料の まゆ の価格が暴落し、養蚕業(ようさんぎょう)が衰退した。さらに1930年では、豊作で米の価格が暴落し、農家の収入が
いっそ農村から脱出して都市で働こうにも、むしろ都市で失業した人が農村にもどってくる状況であった。
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の順序で起きている。
このうち、因果関係が直接的にあるのは「世界恐慌 → (日本での)昭和恐慌」である。
=== 日本の軍縮 ===
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