「学習方法/高校英語」の版間の差分

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→‎文法: もう1980年代の昔から、高校英語の英文法の勉強は、検定教科書ではなく参考書で勉強するのが定石(じょうせき)、基本です。
=== 出ない単元 === ;無生物主語の和訳はまず出ない
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正直、高校生にもなって、またIT社会の受験ノウハウもあふれた現代、どこの大学の受験にも出る英文法を家で予習すらできないとしたら、そもそも大学受験が難しいレベルであろう。
 
=== 出ない単元 ===
;無生物主語の和訳はまず出ない
結論から言うと、無生物主語を和訳させるような問題は大学入試は出ない。少なくとも、まともな大学は、そういう問題を出さない。
 
たとえば、「風邪が彼に学校を休ませた。」だと減点で、「風邪のせいで彼は学校を休んだ。」でないと正解にならないような、アレである。こういう和訳をさせる問題は、大学入試でまず見かけないので、いちいち気にする必要は少なく、安心していい。
 
教科書や参考書だと、主語の無生物をそのまま和訳すると減点だが、しかし実際の英文読解でそんなことを一々考えないし、日本語の文法・文章だって実際にはその程度の自由度はある。そもそも英語の知識の問題でなく、日本語の(文法ですらない)言い回しの好みにすぎない文化的な問題でしかない。
 
そもそも、英語に慣れれば慣れるほど、無生物主語をいちいち気にしなくなるのに、それを問題に出すこと自体、そもそも論として入試問題としての意義が疑わしい。(教師にでもならないかぎり、無生物主語の和訳でいちいち主語を生物に置き換えるのは必要ない工夫である。)
 
「無生物主語の言い回しは英語由来の日本語がダメ」なんて言い出したら、そもそも明治時代からの現代語そのものの存在意義が無くなる。
 
こういう事情があるので、無生物主語の和訳問題は出ないし、実際にあまり見かけない。
 
大学はこういう意見が分かれそうな問題を出すことは少なく、もっと確実に正誤を判断できる単語問題や熟語問題などを出す。
 
 
日本の小中高校の教育のおかしな文化のひとつで、本来なら教師が負担すべき知識を、小中高の子供の学習内容として押し付けている文化が、いくつかある。典型的なのが、小学校の算数の掛け算の文化である。教科書の採用を決めるのが各学校の教師なので、教師にしか関係ない内輪の知識が、しばしば教育内容として好まれる、内輪受けの世界が淘汰されない。
 
また、日本語教育界などの既得権益や政治的影響などがあり、そのせいで本来なら日本語教育で行うべき内容の教育が、中学高校では英語など外国語の教育に押し付けられている現状もある。
 
== 熟語 ==