「小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代」の版間の差分

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:韓国については、政治的な不安定を理由に日本の属国化が進められ、1905年12月には統監府が設置され、伊藤博文が初代統監に就任しました。
:1909年 (明治42年)、伊藤博文はロシアとの外交交渉のため満州のハルビンに出向きましたが、そこで、朝鮮民族主義者に暗殺されます。それまで、韓国に対しては朝鮮民族に対し強硬的に望む人たちと、穏健に進めるべきという人たち(伊藤博文もその意見でした)が対立していたのですが、伊藤博文が暗殺されたことで、強硬派の勢いを増し、1910年(明治43年)8月に、日本は大韓帝国を併合しました('''{{ruby|韓国併合|かんこくへいごう}}''')。
:<span id="辛亥革命"/>日露戦争は、日本とロシアの戦争でしたが、その戦いは清国の領土でなされました。清国は、もはやそれを止める力を失っていました。中国の人々は、外国に国土を侵される不安が高まり、中国の人々が政治参加をする国をつくるため、1911年{{ruby|孫文|そんぶん}}が主導者となって革命を起こしました('''{{ruby|辛亥革命|しんがいかくめい}}''')。翌1912年清王朝は滅ぼされ、アジアにおいて史上初の独立した共和制国家である{{ruby|中華民国|ちゅうかみんこく}}が誕生しました。
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