「高等学校政治経済/経済/物価の動き」の版間の差分

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なお、日本だけでなく米国でも、インフレ・スパイラル inflationary spiral と言う用語がスタグフレーションなどの議論で使われる[https://twitter.com/paulkrugman/status/1513238054235955211 ツイッター Paul Krugman@paulkrugman の引用先の経済学者ブラッドフォード・デロング(カリフォルニア大学バークレー校教授)のツイート発言 ]。
Nermer314 (トーク | 投稿記録)
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いっぽう、年率数パーセントていどの持続的なインフレを'''クリーピング・インフレ'''(creeping inflation)という。クリーピングとは、「しのびよる」という意味。
 
== 範囲外: 変数の分離 ==
{{コラム|変数の分離|
前の説で、(インフレ、デフレといった)物価と、景気との関係を論じた。
 
しかし、本来、物価と景気とは、あくまで別個の概念である。
 
物価が変動すれば、長期的には、ある程度は、景気に影響を与えるだろうから、物価と景気とのあいだに、ある程度の関連性はある。
 
しかし、少しでも関連性のある物を同じ概念として扱うと、世の中のすべての物事は関連しあってるので、要因が多くなりすぎて、経済分析などの社会科的な分析が不可能になってしまう。
 
そこで、経済学では、ある概念(たとえば物価)について、影響・関連性の大きそうな物事(たとえば景気)であっても、いったん無関係であると仮定する。
 
そして、それぞれ、別個の概念を用意して(たとえば「物価」と言う概念と、「景気」という概念)、さらに、それぞれ別個に数値化する(たとえば「物価指数」と「景気指数」のように)。
 
こうした上で、各国や各時代の統計データなどで、物価と景気との関係を調べることにより、学問的にも高度な分析がしやすくなる。
また、「物価指数」「景気指数」などのように数値化してあるので、数学的な分析手法も活用できる。
 
このように、たとえ関連する複数の概念であっても、いったん、独立した別個の概念として扱って、それぞれ別個に数値化する手法を、'''変数の分離''' (へんすうのぶんり) という。(用語「変数の分離」は高校の範囲外なので、覚えなくていい。)
 
さて、物価と消費者心理のあいだには、テレビや雑誌などのメディアの経済評論でも、物価と消費者心理を関連づける仮説がいろいろとあるが、とりあえず経済学的に客観的に議論をしたいなら、いったん変数を分離すればいい。変数の分離という手法により、特定の経済仮説には片寄らないで議論でき、しかも必要に応じて物価と消費者心理を結び付けて論じることもできる。
 
つまり、「物価」「景気」などの、それぞれの概念を、まるで部品のように、必要に応じて、自由に分解できたり、あるいは組み立てたりできるようにしているのである。(たとえるなら、製造業などでいう「モジュール化」のように。)
 
さて、高校の「政治経済」科目や大学の経済学では、景気と物価との関連を考察するが、あくまでも「景気」と「物価」は別個の概念として扱うので、混同しないようにしよう。
 
 
* 自然科学での「変数の分離」
変数の分離というのは、何も経済学だけの概念ではなく、物理学や数学などでも使われる。おそらく、「変数の分離」は、もともと、物理学などの自然科学での用語であろう。
 
たとえば、物理Iの科目などで、物体の運動を論じるとき、質量と速度と加速度という概念を用意して、それぞれ、別個に数値化できるようになっている。質量を測定するには、天びん で測定できる。速度や加速度は用いなくても、質量を測定できるようになっている。
 
その上で、力学の理論では、物体に力が加わったときなど、質量と速度、加速度のあいだに、どのような関係があるかを、数式や数値を使って論じているのである。
 
また、じっさいの物体には、密度や、その物体を構成する原子の原子量、分子の分子量などもあるが、しかし、そういうのは、いったん力学の理論では無視している。(影響の小さい事はいったん無視するのが、「変数の分離」のテクニックである。)
 
* 経済学と実験
小室は著書で「経済学は実験できない」と述べており、その根拠として、(経済学は)「変数を分離ができない」と述べている<ref>小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P362</ref>。
 
しかしこれは間違いだろう。ネットで「実験経済学」や「社会実験」などで検索すれば、いくらでも経済的な実験の例が出てくる。
 
経済実験で得られた知見に、物理学のような永久普遍性はないかもしれないが、しかし少なくとも実験環境と似たような状況でなら、実験で得られた知見の活用が可能であろう。
 
だから「経済学は実験できない」は言い直すべきであり、せいぜい「実験環境を実際の政策や経営に活用するのが難しい」などと言い換えるべきかもしれない。
 
 
とすると、経済で実験ができているという現実がある以上は、「変数の分離」もまた可能であろう。事実、経済学の方程式を見れば、多変数の関数や多元の連立方程式など、いくらでも出てくる。ただし、方程式上では変数を自由に分離できても、それが現実的に密接した深い意味をもつかは別であるが。
 
経済学は物理学など自然科学を手本としている点もあるので、用語の上では「実験」や「変数」など自然科学の用語を流用することはあるが、しかし上述のように意味は少々、異なる可能性もあることを留意する必要があるだろうか。
 
むしろ、国土交通省のレポートだが、(バブル研究の話題で、実証研究と実験研究の違いについて(2文字目が違う))「実証研究ではそれぞれの要因を分離して考察することが困難であるのに対し、実験研究では、それぞれの要因に関する実験条件を与えることにより、一つ一つの影響の有無や影響の大きさ等を調べることが可能となる。」とさえ述べている。[https://www.mlit.go.jp/pri/houkoku/gaiyou/pdf/kkk84.pdf 国土交通省 国土交通政策研究所『国土交通政策研究 第84号 不動産価格の形成過程に関する実験研究』,2009 年 3 月, ]「変数」ではなく「要因」という言い回しを使っているが、意味するところは同じであろう。
 
 
(経済の解析では普通は)「変数の分離ができない」と言い出したのは小室ではなく、どうもケインズがすでに1930年代後半から言っていたようである。参考文献として、慶応大学の学者の論文 [https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-20031001-0001.pdf?file_id=100499 『計量経済学の史的展開と現代の課題』 ]によると、ケインズが「経済変数は互いに高い相関をしているから,各変数固有の効果は分離できない。因果序列によって変数の関係をとらえようとする逐次分析からは動学的な反作用の問題が忘れ去られ,」(抜粋)と述べているようである。(計量経済学者ティンバーゲンへの批判をケインズが述べる文章。)
 
とすると、小室の業績は、ケインズのこのような意見を、小室は経済学以外の実験計画法、著作中ではたとえば心理学の実験計画法などと関連づけて説明して<ref>小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P460</ref>、議論の叩き台を与えたことになる。
 
小室は著作で「反作用」や「因果」などの表現を用いているのも、ケインズの言い回しに習ったものであろう。
 
 
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== ※ 範囲外: 貨幣錯覚 ==
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それでも景気刺激などのための公共事業や補助金政策などを減らさずに景気刺激策を続けようとする場合、政府は、その景気刺激策のための資金をあつめる必要があり、税金を増やすか、国債を追加発行する必要がある。
 
 
残念ながら日本の有権者のなかには、「税金が増えるのはイヤだけど、政府は国民への補助金をふやすべきだし、公共事業も行うべきだ。それが庶民の将来への安心を産み、景気刺激になる。でも、自分の払う税金が増えるのはイヤなので、他人が税金を負担しろ。」などと考えている、頭のわるい人たちも多い。
 
仮に、もし政府がインフレを誘導すると、公務員の給料も増額しないといけないので(公務員だって、物を買うので)、よって税金も増えるのだが、しかし卑怯者たちは「わたしの給料だけインフレさせろ。税金は増やすな。税金の金額は、デフレのままが良い。」などという、インフレ政策と矛盾をした発言をする事も、頭のわるい者たちには多い。
 
 
高校生の学習上、重要なこととして、このような頭のわるい経済政策(「自分の払う税金が増えるのはイヤなので、他人が税金を負担しろ。」「わたしの給料だけインフレさせろ。税金は増やすな。税金の金額は、デフレのままが良い。」)を要求する者によくある経済評論のパターンとして、インフレやデフレの定義をすり替える、という手段を使う事もある。
 
たとえば、インフレにはもともと、景気がどうかは関係がない定義だが、しかし、自分勝手な経済政策を主張する卑怯者たちは、「好景気によってインフレによってなる事を、インフレという」(×)のような循環的な定義を持ち出したりする事が多い。もちろん、このような定義は、まちがった定義である。
 
彼ら、卑怯者たちは、
:「好景気によってインフレによってなる事を、インフレという」(×)
:「ところで、インフレ政策をすると、好景気になり、税金はデフレのままで維持できる」(×)
:「よって、インフレを誘導する政策は正しい」(何が「よって」なんだ??)
 
などという、もはや、なんの証明にもなっておらず、なんの三段論法になってない、単にかれらが「証明」だと自称するだけの主張を根拠として持ち出すことが多い。実際には、このような主張は、もはや「証明」には値せず、たんなる宗教や信仰である。
 
なので、高校生は、けっして、このような頭のわるい経済理念を主張する者たちには、ダマされてはいけない。
 
なお、このような卑怯者たちは、同時に、論理的思考力に乏しく(とぼしく)、数学的思考力にも乏しい、愚か者(おろかもの)でもあるので、もはや相手にするだけ時間の無駄である。
 
政治家やマスコミにとっては、仕事の都合上、ある経済理念の国民集団が愚か者であっても、国民のひとりとして尊重しなければならない。しかし、高校生は、愚かな大人の妄想なんぞ、いっさい、尊重する必要はない。
 
よって、インフレの定義は、あくまで景気とは無関係に理解する事こそが、馬鹿を相手にしないで済むので、合理的である。
 
物価指標と景気指標とは、べつべつの変数であると考えるのが合理的であり、変数を分離するのが合理的である。
 
つまり、もしアナタが正しい方法で学問を勉強しないと、馬鹿の相手をする事になり、そのうちアナタ自身も馬鹿になっていく。なので、勉強は大切なのである。
 
さらに、高校生の進路上、重要なこととして、この手の自己中心的なワガママな経済政策案(「自分の払う税金が増えるのはイヤなので、他人が税金を負担しろ。」「わたしの給料だけインフレさせろ。税金は増やすな。税金の金額は、デフレのままが良い。」)を主張する経済評論家たちのなかには、職業を大学教員とする者もいる、という残念な事実がある。
 
彼らの教育と経済の関係についての評論では「自分が『研究費』として国などから援助される補助金の金額はインフレさせるべきだが、しかし学生の払う学費がインフレするのはケシカランので、かわりに自分たち以外の人間の払う税金をインフレさせろ」的な主張をする、頭の残念な大学教員も多い。
 
:しかも、頭の残念な大学教員たちは「学生の払う学費のインフレはケシカラン」などと言うくせに、けっして、国民の教育費を下げようとする努力は一切せずに、たとえば大学以外の場所で無償ボランティアのような授業は'''しない'''し、また、多くの大学教員は無料のネット教科書なども公開'''しない'''でいる。そのくせ、彼ら大学教員は、政治家や財務省などに大学学費の相場の高騰(こうとう)の責任をなすりつけようとするのだから、彼らのような大学教員たちは偽善的であり、人間性が腐っている。
:(しかし日本では、このような自己中心的な教員たちの行う教育が、多くの国民からは称賛されており、そもそも国民の多くの人間性が腐っている。よく、大学の資金難についての有権者の意見で、「大学の学者に、もっと多くの研究資金を与えるべきだ」などという有権者は多いが、しかし少なくない有権者は、そのために税金を増やす事には反対する。また、彼ら有権者の多くは、寄付を大学や学者に1円たりとも払わない者たちが大半である。
:国からの補助金には、財源として税金の徴収が必要である。それは、たとえ学術研究のための補助金であろうが、例外ではない。
:あなた達の保護者も、人間性が腐ってるのだろう。保護者のなかには、「大学卒」の肩書を称賛して子供に大学進学をすすめるくせに、自身は大学レベルの教科書を人生で1冊も読んでないような、腐った保護者も多い。)
 
:なお、このような腐った保護者のなかには、大学の学費を、子供に借金させようとする、ゴミクズも多い。