「小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代」の版間の差分

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:*:{{ruby|甲斐|かい}}国(現在の山梨県)の戦国大名です。{{ruby|武田|たけだ}}氏は、もともと守護大名です。信玄は、馬を使った{{ruby|戦|いくさ}}がたくみで、{{ruby|信濃|しなの}}国をめぐって上杉謙信と戦い、信濃を領地にし、{{ruby|今川|いまがわ}}氏が衰えたのち、駿河に南下し、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]とたたかい、家康を敗退させます<span id="三方原の戦い"/>。そのまま、西に進み、[[#織田信長|織田信長]]とたたかおうとしたところで病で亡くなりました。
:*{{ruby|今川義元|いまがわよしもと}}<span id="今川義元"/>
:*:{{ruby|駿河|するが}}国と{{ruby|遠江|とおとおみ}}国(現在の静岡県中部から西部)の戦国大名です。{{ruby|今川|いまがわ}}氏は、足利家の一族の有力な守護大名です。義元は、隣接する北条氏や信玄ととも争いながら、ひけをとらない強力な戦国大名で、西に隣接する{{ruby|三河|みかわ}}国の大名{{ruby|松平|まつだいら}}氏をしたがえており、松平氏であった[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ#徳川家康|徳川家康]]も幼いころ人質にされていました。1560年、大軍で西に進み{{ruby|尾張|おわり}}を攻撃しようとしたところで、[[#織田信長|織田信長]]の奇襲にあってうたれました(桶狭間の戦い)。
:*{{ruby|毛利元就|もうりもとなり}}<span id="毛利元就"/>
:*:毛利元就はもともと{{ruby|安芸|あき}}国(現在の広島県)の国人領主でしたが、安芸の守護武田氏をほろぼし戦国大名となり、ついで、{{ruby|周防|すおう}}、{{ruby|長門|ながと}}国(現在の山口県)など中国地方西部を領地とした守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏の内乱の機会に大内氏の領地をえて、中国地方の東部を領地とした戦国大名である[[#尼子氏|{{ruby|尼子|あまこ}}氏]]をほろぼして中国地方全体をおさめる戦国大名になりました。