「ゲームプログラミング/バランス調整」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
65 行
つまり昔の子供より今の子供の方が愚かだというイメージを作りたいだけで、インチキな企業のためのいんちきな広告としての意味以外何も持たないだろう。
===商業だろうとそうでなかろうとゲーム制作はプレイヤーの事を考える、難易度はどうする?===
『ナナのリテラシー』という
この漫画、前編集者が書くにはかなり、そこそこ取材されているという。
「PS」(プレステ)のロードは、「1回のロードで2WMが限界なんで どんなマップも2メガに入れなくちゃいけない 会話も音楽も全部ね」▼
この老人の主張は作品自体の主張でも作者の主張でもないというが、しかし前編集者は重要な事だと考えているようだ。
ただし、すべての人に丁度いいバランスに調整することは、非常に難しいです。なので書籍『ゲームプランとデザインの教科書』では、ターゲット層をある程度はしぼりこむ必要があると述べています<ref>『ゲームプランとデザインの教科書』、P.97 </ref>。▼
しかし誰もが飛び越せる絶妙な壁をクリアさせて、消費者に快楽を与えて、ガッポガッポも儲けるにしても、人間には個性があり、性格や性質にもばらつきがある。
ほかの書籍でも、塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』では、やや文脈が違いますが、「遊んだプレイヤー全員が満足するものを、目指さない」と記述があります<ref>塩川洋介『ゲームデザイン プロフェッショナル』、技術評論社、2020年10月3日 第1刷発行、P.173</ref>。(ただし、これはターゲット層の限定のほかにも、テストプレイヤーの意見に振り回されないように、という意味もあるので、文脈が少し違う。)▼
全ての人に等しく、偉そうに試練を与えて、それを乗り越えたから気持ちいい、と自己満足に等しく浸らせることは難しい。
ターゲット層の設定で重要なことは、少なくとも、実在する最低1人の人間を、想定することです。「20代社会人男性が」とかではなく、自分の知人・友人・家族とか、そこまで具体的なレベルで想定するべきだと、塩川氏の著書では述べられています<ref>『ゲームデザイン プロフェッショナル』、P205</ref>。▼
▲
{{コラム|カラケオ音楽の難易度も似ている|▼
▲
▲ターゲット層
80年代~90年代にカラオケが流行した。と、いっても今でも、盛んだけどね。俺も好き^^
カラオケの難易度は、利用者が楽しめるように易しめに作られているようですね。というか前の項目で書いた、絶妙な難易度らしいよ。そこそこ難しく、それを乗り越えると俺は偉いと自己満足にふけれるらしい。岡田斗司夫が90年代後半にその指摘をしていたというが、しかし本当に前編集者は岡田斗司夫が好きなのね^^;;;。
小室哲哉の曲が典型的にそれだという人もいるらしい。そういえば、NHKアニメーション「だぁ!だぁ!だぁ!」のエンディングは凄く良かったな^^。いや、もちろんこれは只の雑談ですが^^;;;。
}}▼
確かに凝った楽曲の割に、カラオケで歌いやすい^^
▲}}
{{コラム|作者の意図通りに視聴者が受け取るとは限らない。作者の意図とは全く別に受け手は作品を楽しむ。それが嫌ならそもそも創作するなよ。|
商業作品であるなら、最終的には売上によって作品の是非が決まる
しかしこいつほんとにアフリマンなのね。金と物質以外何も見えないのか。
ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。▼
ところでこれ↑前編集者の文章だけど、完全なる虚偽だよ、いいかがんにしろ。あのねー、宮崎さんという人は確かに少し偏屈な大人だから、その手の事は時々言うけど、映画を作る時は基本的に、見た人に楽しんでほしい、夢のような時間を過ごしてほしい、そしてこの社会に生まれてよかったと、子供も大人も思ってほしい、そういう思いで、常にそれが第一テーマで漫画映画を作ってるの。
すじ肉先輩さー、あんた俺や他の編集者を何度も知ったかぶりって書いたけど、結局あんたが人類史上、唯一最大の知ったかぶりだね。そもそもあんた、トトロ、観てないんじゃないの?
▲ジブリアニメの『となりのトトロ』は、子供たちにアニメばかり見ずに外で遊ぶように啓蒙するようなストーリーを作者・監督の宮崎駿は目指したと言われています。
あとガンダムやエヴァンゲリオンでも似たような逸話があるとのことだが、こっちはどうでもいい。そもそもこれを作っている連中は、宮崎氏ほど切迫した気持ちで作っているわけではなく、ただ金が欲しくて自分が偉いと思いたいだけだから、作った方がどう思おうが、そいつらに金を与えて養ってる連中がどう思おうが、大したことじゃあないだろ?
}}
|