「ゲームプログラミング/バランス調整」の版間の差分
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→ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?: 6本目のコラムまで終了。7/9。 |
→ゲームをプレイしていることで、プレイヤーは何を知って、何を身につけているか?: 最後のコラムの前まで修正。8/9。 |
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このようにゲームのルール設定が、可能なイベントやマップを限定する。
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さて
イベントの傾向が限定されると、マンネリ化につながる恐れもある。
しかしゲーム会社からすれば、新規の斬新な発想のゲームはむしろ売れないと見られている。
グラフィック重視は、商業ゲームでは非常に重要と考えられているらしい。
▲これは別にwikiのオリジナル意見ではなく、文脈は違いますが、商学書『メイド・イン・ジャパンは負けるのか』という2010年ごろの書籍で、
そしてゲーム評論家は偉そうな批判はするが、自分では結局ゲームを作らない。
▲さらにその書籍によれば、基本的に家庭用ゲーム機の作品群の多くはゲーム性の根幹が90年代あたりから以降の作品は変わっておらず、変わったのはグラフィックが細かくなっただけ、というふうに見られています。
1980年代は、家庭用ゲーム黎明期。1995年ごろ、プレステ1時代からソフト容量が飛躍的に伸びた。
昔はゲームに勢いがあったが、今となっては、新しくて画期的かつリアリティと説得力のあるルールを思いつくこと自体、そんな簡単な事ではない。
漫画産業やアニメーション産業は黎明期をとっくに過ぎたようだが、結局今でもこの産業は続いている。そもそも、ラジオ、新聞、書籍、オールドメディアと呼んでいい産業も、今、しっかり続いている。2010年代のゲーム産業だって、もしかしたらスマホゲーム黎明期、ソーシャルゲーム黎明期なのかもしれない。
{{コラム|岡田斗司夫のアノマリー理論|
古典的な理論を言うと、アニメ評論家の岡田斗司夫が「アノマリー」(「片寄り」という意味の用語)で言ってる例ですが(『東大オタク学講座』にある理論)、ゲームのバランス調整にはそもそも、岡田の理屈によると普遍性はなく、どうしても作者の世界観が反映されます。
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