「ゲームプログラミング/バランス調整」の版間の差分

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スーパーマリオのステージ1-1の最初のクリボーをどうする? (解1)踏んずけてやる^^!!!(解2)そのクリボーを飛び越えてこっちに来い!!!^^(解3)ブロックに乗って、絶景哉^^。
 
====ゲームと漫画、アニメーション====
==== 他メディアとの違い ====
非常におおざっぱに語ると、漫画やアニメーションは完成して世に出た時点で、その版では、定められた運命が記述されている、ヤーンの書のようなものでしょう。
===== マンガ・アニメのバランス調整との違い =====
マンガやアニメのバランス調整というか、物語での敵の強さの見せ方と、ゲームでの敵の強さのありかたは、少し差異があります。
 
ゲームはインタラクティブだから、運命は決まっていないし、あいまいで、事実上選択肢がある世界。
マンガ・アニメだと、たいてい強敵は、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さになっています。たしか1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』(1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』)の時点で、すでに、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、そういうふうに設計されていることが説明されています。
 
そしてゲーム=戦闘ではないが、戦闘を描いたゲーム、漫画、アニメーション、
しかしゲームでは普通、このようなギリギリの強敵にしてないほうが安全です。
というのは明らかにある、そしてその話なんですが…
 
1982年『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という書籍では、マンガやアニメや特撮(ウルトラマン)などの敵の強さは、主人公がなんとか苦戦しながら倒せるギリギリの強さだと指摘されている。ただしこの出典関係の記述にはWiki著書の記憶違いがあるかもしれない。
マンガやアニメの強敵よりも、やや弱めにしておく必要があります。そうしないと、プレイヤーに創意工夫が生まれません。
 
しかしゲームでの敵は、もうちょっと弱めにしておくといいらしい。
具体例を考えるなら、分かりやすい例が、先ほど漫画家の鳥山明さんを例にあげましたが、その鳥山さんのドラゴンボールの原作マンガとゲーム版でのボス敵の強さの違いです。ゲーム版『激神フリーザ』だと、たとえばクリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっています(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。別に鳥山さんの作品だけでなく、ほかの多くの作家のマンガやアニメのゲーム版も、大体、同様に、原作マンガや原作アニメでは倒せなかったボス強敵がゲーム版では頑張れば倒せるようになっています。
 
まあそりゃあそうだよね。毎回毎回ギリギリの敵と戦うなら、ゲームなんて誰もしなくなるよ。これに関して前編集者はプレイヤーの創意工夫がどうのなんて書いてるけど、完全なる欺瞞だろう。
理論的に考察するなら、マンガやアニメでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでマンガやアニメでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良いのしょう。
 
具体作品を上げると、ゲーム『激神フリーザ』。要するにドラゴンボール原作のゲームですね。クリリンでもちょっと鍛えて頑張ればザーボン(ナメック星編の中ボス敵)を倒せるようになっている(原作マンガだとクリリンはザーボンを倒せない)。
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要があります。
 
理論的に考察するなら、マンガ漫画やアニメーションでは、一回の戦闘での強敵の倒しかたが一通りしかなく、いちばん読者に魅力的に見える奇想天外・破天荒な倒しかたで、敵を倒します。なのでマンガやアニメここでは、ギリギリ倒せる強さのほうが良いのしょう
 
しかしゲームの強敵では、多くのプレイヤーの、それぞれ異なる色々なアイデアに対応した倒し方を何通りも準備する必要があるので、ゲームでの強敵の強さは、ギリギリ倒せる状態よりも少し弱めにする必要がある。しかしやはそれ以前に、あり敵が強すぎたら、プレイヤーがしんどぎるだろ、単に難易度が高いゲームになっちゃうよ
 
==== 「廃人」 ====