「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:*'''中大兄皇子の外交'''<span id="外交"/>
:*:<span id="遣唐使"/>隋が618年に{{Ruby|唐|とう}}に滅ぼされた後、蘇我蝦夷がまだ大臣の時代、遣隋使につづいて{{Ruby|遣唐使|けんとうし}}が派遣され、皇帝に遠方から来たことで歓迎されました。大化の改新以後も数度にわたって派遣し、唐との親交を深めていました。
:*:このころ、朝鮮半島の情勢が大きく変わります。唐は、勢力を伸ばしている新羅を配下に加え、隋の時代から敵対していた高句麗に対して攻撃しようとしていました。日本は、任那を失ったのちも百済とは親交を深めていたところですが、新羅はさらに勢力を伸ばそうと隣国の百済を唐とともにせめ、660年に百済をほろぼしてしまいます。百済の{{ruby|遺臣|いしん}}<ref>ほろびた国の家臣。</ref>たちは、日本にいた百済王の王子を立てて、百済の復興を望み、日本に支援を願います。朝廷はこれに応じ、約4万人<ref>日本の全人口が約600万人のころです。</ref>の兵を朝鮮半島に送ります。