「小学校社会/6学年/歴史編/江戸幕府の成立と安定した社会-江戸時代Ⅰ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Mtodo (トーク | 投稿記録)
編集の要約なし
17 行
|}
=== 江戸幕府の始まり ===
==== 関ヶ原秀吉死後政権争い ====
:1598年[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#豊臣秀吉|秀吉]]が死んだ時、後継の{{Ruby|秀頼|ひでより}}はまだ5歳でした。秀吉は、秀頼が成長するまで'''{{ruby|徳川家康|とくがわいえやす}}'''・{{ruby|上杉景勝|うえすぎがげかつ}}他5人の有力な大名('''{{ruby|五大老|ごたいろう}}'''<ref>家康・景雄の他は{{ruby|前田利家|まえだとしいえ}}・{{ruby|毛利輝元|もうりてるもと}}・{{ruby|宇喜多秀家|うきたひでいえ}}です。</ref>)と秀吉が信頼する'''{{ruby|石田三成|いしだみつなり}}'''や{{ruby|浅野長政|あさのながまさ}}他5人の家臣('''{{ruby|五奉行|ごぶぎょう}}'''<ref>三成・長政の他は{{ruby|前田玄以|まえだげんい}}・{{ruby|増田長盛|ましたながもり}}・{{ruby|長束正家|なつかまさいえ}}です。</ref>)の10人で相談して政治を行うよう言い残しました。しかし、秀吉が死ぬと家康は他の大名との関係を深めるなどの動きを見せ、三成は家康が天下をねらっているのではないかとうたがいを持つようになりました。他方で、秀吉・秀頼の家臣の中で、石田三成を中心とする行政で秀吉をささえたグループと浅野長政や{{ruby|加藤清正|かとうきよまさ}}・{{ruby|福島正則|ふくしままさのり}}といった{{ruby|戦|いくさ}}で{{ruby|手柄|てがら}}を立ててきたグループの間に対立が生じてもいました。
<div style="margin:0 2em 0 4em">