「小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代」の版間の差分

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;明治後期から大正にかけての人々の生活や文化と学問
:明治維新後、さまざまな[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#殖産興業|殖産興業]]の取り組みによって、経済的余裕ができ、国民生活は向上し、さまざまな近代文化の進展が見られました。また、欧米から伝わった工業的な製紙法と活版印刷は安価で大量の印刷を可能として、新聞や雑誌が広く普及します。これら新聞や出版業の発達したことと、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#学校|学校制度]]が定着し教育水準が上がったことで、国民の政治参加の意識も高まりました。
:<span id="大正デモクラシー"/>さらに、日清戦争・日露戦争といった戦争で、納税額が多いかどうか、つまり財産が多いかどうかにかかわらず、国民として平等に生命を犠牲にするということが意識され、納税額による選挙権の制限([[#制限選挙|制限選挙]])をやめて、成人であれば誰にでも選挙権が与えられる「普通選挙」を求めた社会運動('''普選運動''')がおこり、1925年(大正14年)すべての男性が選挙権を有する普通選挙法が成立しました。このような、民主化の動きを「'''大正デモクラシー'''」と言います。しかし、まだ女性には選挙権は認められていませんでした。
:<span id="政党政治"/>このように、国民の政治への関心が高まると、選挙で選ばれた国会議員による衆議院の発言力が強まり、[[#内閣総理大臣|内閣総理大臣なども衆議院の意向を受けて選び出されることもありました]]。しかし、一方で議会での議論においては、政党同士の争いもあって、無駄な議論がなされるように見えることもありました。また、政策に関しての、議員の{{ruby|汚職|おしょく}}なども発生するようになりました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#文明開化|文明開化]]を受けて、日本には西洋風の文化が広く普及し、明治20年(1887年)代以降になると、それを受けた独自の文化が育ってきました。