「小学校社会/6学年/歴史編/国際社会に進み出す日本-明治末期から大正時代」の版間の差分

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;明治後期から大正にかけての人々の生活や文化と学問
:明治維新後、さまざまな[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#殖産興業|殖産興業]]の取り組みによって、経済的余裕ができ、国民生活は向上し、さまざまな近代文化の進展が見られました。また、欧米から伝わった工業的な製紙法と活版印刷は安価で大量の印刷を可能として、新聞や雑誌が広く普及します。これら新聞や出版業の発達したことと、[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#学校|学校制度]]が定着し教育水準が上がったことで、国民の政治参加の意識も高まりました。
:1918年(大正7年)、当時、コメの価格<ref>コメは、現在よりもはるかに生活に重要な物資で、当時の平均的な家計消費支出の3割程度を占めていたと考えられます。なお、現在では1%程度です。</ref>が上がりつつあって、コメ業者などが買いしめ・売りおしみをする様子がありました。これをに不満を持った庶民の暴動が富山県で起こったりしていました。このような中、[[#ロシア革命|ロシア革命]]で共産主義の国が誕生したことに対抗して政府はロシアのアジア地域(シベリア)に出兵することを決めました(シベリア出兵)。大規模な軍隊を出兵させることは、大量の食糧が必要となることを意味しますから、一部のコメ業者が、ますます買いしめ・売りおしみをすすめたため、コメの価格が急激に上がりました。この、コメの値上がりと富山県での暴動の新聞による暴動を受け、コメの値上がりに対する暴動は日本国中に広がりました('''コメ騒動''')。コメ騒動を、解決できなかった軍人出身の{{ruby|寺内正毅|てらうちまさたけ}}首相は辞職し、代わりに[[#華族|華族]]ではなく、また幕末に賊軍とされた岩手県盛岡出身<ref>明治維新以来、明治政府は、討幕に功績のあった「{{ruby|薩長土肥|さっちょうどひ}}」と言われる、薩摩藩・長州藩・土佐藩・肥前藩出身、特に長州藩・薩摩藩出身の政治家が力を持っていました({{ruby|[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#藩閥政治|藩閥]]|はんばつ}}政治)。明治維新から50年たって初めて、藩閥以外の国のリーダーが登場したのです。</ref>の{{ruby|原敬|はらたかし}}が首相となりました。人々は原首相に『平民宰相』とあだ名をつけて歓迎しました。
:<span id="大正デモクラシー"/>さらに、日清戦争・日露戦争といった戦争で、納税額が多いかどうか、つまり財産が多いかどうかにかかわらず、国民として平等に生命を犠牲にするということが意識され、納税額による選挙権の制限([[#制限選挙|制限選挙]])をやめて、成人であれば誰にでも選挙権が与えられる「普通選挙」を求めた社会運動('''普選運動''')がおこり、1925年(大正14年)すべての男性が選挙権を有する普通選挙法が成立しました。このような、民主化の動きを「'''大正デモクラシー'''」と言います。しかし、まだ女性には選挙権は認められていませんでした。
:このような、民主化の動きを「'''大正デモクラシー'''」と言います。しかし、まだ女性には選挙権は認められていませんでした。
:<span id="政党政治"/>このように、国民の政治への関心が高まると、選挙で選ばれた国会議員による衆議院の発言力が強まり、[[#内閣総理大臣|内閣総理大臣なども衆議院の意向を受けて選び出されることもありました]]。しかし、一方で議会での議論においては、政党同士の争いもあって、無駄な議論がなされるように見えることもありました。また、政策に関しての、議員の{{ruby|汚職|おしょく}}なども発生するようになりました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/明治維新と近代国家日本の成立-幕末・明治時代#文明開化|文明開化]]を受けて、日本には西洋風の文化が広く普及し、明治20年(1887年)代以降になると、それを受けた独自の文化が育ってきました。
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:#:ナショナリズムの高まりは、国際的に認められるようになり、オーストリア帝国やオスマン帝国が支配した領域から、同じ民族で集まった国が数多く独立することになりました。しかし、アジアやアフリカの諸国は、まだ独立が認められず、第一次世界大戦後はアジア各地での独立運動が見られるようになります。
:#:また、先進国自身においても一種の民族主義が盛んになります。これは、国外資本が進出してくることや社会主義の民族主義を否定する動きに反発するものです。これが、のちに[[戦争への道と現代の民主国家日本の誕生-昭和から現在まで#ファシズム|ファシズム]]と呼ばれるものになります。
:#社会主義国家の誕生<span id="ロシア革命"/>
:#:ロシア革命後、ロシア国内では内戦が起こり、1922年レーニンが率いる共産党が国内をまとめ、世界で初めての[[#共産主義|社会主義・共産主義]]を国の仕組みに持った'''ソビエト社会主義共和国連邦'''<ref>「ソビエト(ソヴェート)」はロシア語で「評議会」の意味で、ロシア革命前後に人々が集まって政治の方針を決めた団体が母体になっていることを意味します。「社会主義共和国」は社会主義を政治の方針とする共和国ということです。最後の「連邦」は、そのような社会主義共和国がいくつか集まって1国となっているということを言っており、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、ウクライナ社会主義ソビエト共和国、白ロシア・ソビエト社会主義共和国など、いくつかのの国で構成されていました。</ref>('''ソビエト連邦'''、'''ソ連''')が誕生しました。
== 脚注 ==