「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

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=== 江戸時代の文化 ===
:江戸時代になって、大名同士のあらそいがなくなったので、日本全国にわたる商業が安全にできるようになりました。そうして、それまでの時代と比べて商業が特に発達しました。商業の発達によって、大阪や京都、江戸といった都市が発達し、そこの住民に町人文化が発達しました。
;元禄文化
[[File:Shibai Ukie by Masanobu Okumura.jpg|thumb|250px|歌舞伎の劇場]]
[[File:ChikamatsuM.jpg|180px|thumb|近松門左衛門]]
:「'''{{ruby|元禄|げんろく}}'''」は、江戸幕府ができてだいたい100年くらいの元号です。このころ、大阪を中心に最初の町人文化の開花が見られました。元禄の頃の文化を「'''元禄文化'''」と言います。仮名草子・浮世草子といった出版物が市中に出回るようになり、'''{{ruby|人形浄瑠璃|にんぎょうじょうるり}}'''や'''歌舞伎'''が庶民に人気を得て、'''{{ruby|井原西鶴|いはらさいかく}}'''や'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#近松門左衛門|{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}]]'''といった小説家・劇作家がでました
:商業が盛んとなり、大阪や京都に住む庶民が豊かになると、さまざまな{{ruby|娯楽|ごらく}}が発達します。音楽に合わせた踊りや演劇といったものは、特に人気でした。安土桃山時代や江戸時代の初めのころは、これらの芸能は、大きな寺の{{ruby|境内|けいだい}}や河川の{{ruby|河原|かわら}}<ref>いわゆる、{{ruby|河川敷|かせんじき}}と言われる地域です。この地域は、大雨が降ると水に沈むため、家を建てたり、田んぼにすることができませんでした(今でもそうです)。</ref>に小屋をもうけて、{{ruby|披露|ひろう}}されていましたが<ref>客席には屋根がなく、みな{{ruby|芝|しば}}の上に{{ruby|居|い}}て見ていました。「{{ruby|芝居|しばい}}」という言葉はここからきています。</ref>、人気が安定すると街中に{{ruby|芝居小屋|しばいごや}}(劇場)ができ、そこで一年を通じてもよおされるようになりました。
:芝居小屋では、'''{{ruby|歌舞伎|かぶき}}'''や'''{{ruby|人形浄瑠璃|にんぎょうじょうるり}}'''が人気をえました。
:歌舞伎は、安土桃山時代末期にあらわれた、{{ruby|出雲阿国|いずものおくに}}という女性が始めた着飾った女性が集団で踊り、その中に演劇的な内容を入れた「かぶき踊り<ref>「かぶき」は「かたむき」という意味の古い言葉です。世の中とちょっと違ったことをする(今でも、「{{ruby|斜|しゃ}}にかまえる」という言い方をします)ことであって、異様なすがたをして街中を横行した人たちを「かぶきもの」と言いました。「歌舞伎」は当て字です。</ref>」({{ruby|阿国|おくに}}かぶき)が起源とされ、京や大阪で非常に人気となりました。しかし、女性ばかりが人前で踊ることは、風紀をみだすということで幕府に禁止されました。同時期に、若い少年で同じような芸能が始まりましたが同様の理由で禁止になりました。そこで、成年男子ばかりで女性役も男性の俳優がやる現在の形の歌舞伎が残りました。
:人形浄瑠璃は、室町時代末期におこった音楽<ref>もとは、琵琶などの演奏でしたが、安土桃山時代頃に琉球から伝わった{{ruby|蛇皮線|じゃびせん}}を改良した{{ruby|三味線|しゃみせん}}が多く使われるようになっていました。</ref>に合わせて物語を語る{{ruby|浄瑠璃|じょうるり}}に合わせた人形劇が安土桃山時代に起こり、江戸時代初期に形が完成したものです。この人形浄瑠璃の脚本家として'''[[小学校社会/6学年/歴史編/人物事典#近松門左衛門|{{ruby|近松門左衛門|ちかまつもんざえもん}}]]'''があらわれ、『{{ruby|曽根崎心中|そねざきしんじゅう}}』などの作品が演じられました。
:都市化が進むと、出版物も多く作成されるようになり、仮名草子・浮世草子といった出版物が市中に出回るようになました。小説の制作を職業とするものも出てきて、中でも'''{{ruby|井原西鶴|いはらさいかく}}'''は『好色一代男』や『好色五人女』などの作品が人気をえました。
:[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#連歌|連歌]]から発達した'''俳句'''(俳諧)が流行し、'''{{ruby|松尾芭蕉|まつおばしょう}}'''は、それを芸術のレベルまで高めたと言われています。
:絵画も大衆化し、このころ'''{{Ruby|菱川師宣|ひしかわもろのぶ}}'''が'''{{Ruby|浮世絵|うきよえ}}'''を創始しました。浮世絵は、版画の一種で何枚も同じ絵をすることができるので、庶民でもこれを買い求めることができました。
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;化政文化
:江戸は幕府が開かれた当時は、全国から武士のみが集まる都市でしたが、元禄から、100年ほど後の「'''{{ruby|文化|ぶんか}}'''」「'''{{ruby|文政|ぶんせい}}'''」といった元号の時期には、武士以外の商人や職人なども増えて、町人文化が見られるようになりました。これを、「文'''化'''」「文'''政'''」から、「'''{{ruby|化政|かせい}}文化'''」といいます。
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|'''【脱線 - 覚えなくてもいい話】<span id="江戸期の商業"/>江戸時代の商業<small>
江戸時代は、それまでの時代と比べて商業が特に発達した時代でした。:商業の発達によって、大阪や江戸といった都市が発達し、そこの住民に町人文化が発達しました。商家は過去に見ることのないほど大きくなりました。ここでは、江戸時代に特徴的な商業について紹介します。
*'''{{ruby|米問屋|こめどんや}}・{{ruby|米仲買|こめなかがい}}・{{ruby|札差|ふださし}}'''<span id="米問屋"/>
*:幕藩体制の基本は稲作でした。幕府や各藩は、米で年貢を受けており、農民は年貢分に合わせて、換金しやすい基礎的な商品作物として稲作を行っていました。また、幕府でも各藩でも、家臣への給与は米で支払われていました。