「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

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;化政文化
:江戸は幕府が開かれた当時は、全国から武士のみが集まる都市でしたが、元禄から、100年ほど後の「'''{{ruby|文化|ぶんか}}'''」「'''{{ruby|文政|ぶんせい}}'''」といった元号の時期(1804年-1830年)には、武士以外の商人や職人なども増えて、町人文化が見られるようになりました。これを、「文'''化'''」「文'''政'''」から、「'''{{ruby|化政|かせい}}文化'''」といいます。
:江戸でさかんとなった庶民文化としては、従来の歌舞伎などの芸能に加え、芝居小屋より小さな{{ruby|寄席|よせ}}ができて、落語、講談、浄瑠璃、手品・曲芸など一人または少人数による出し物楽しまれるようになりました。
:文芸では'''{{Ruby|十返舎一九|じっぺんしゃいっく}}'''の『{{ruby|東海道中膝栗毛|とうかいどうちゅうひざくりげ}}』など{{ruby|滑稽|こっけい}}なものが人気で、また幽霊などの不思議なできごとを描いた『{{ruby|雨月|うげつ}}物語』の'''{{Ruby|上田秋成|うえだあきなり}}'''や『{{ruby|南総里見八犬伝|なんそうさとみはっけんでん}}』の'''{{Ruby|曲亭馬琴|きょくていばきん}}'''らの小説家が作品を発表しました。
:俳句は、引き続き人気で'''{{Ruby|与謝蕪村|よさぶそん}}'''や'''{{Ruby|小林一茶|こばやしいっさ}}'''などが有名となりました。また、俳句や短歌の形式で、{{ruby|滑稽|こっけい}}な内容を歌う'''{{ruby|川柳|せんりゅう}}'''や'''{{ruby|狂歌|きょうか}}'''が流行しました。
:浮世絵も幅広い題材を取り上げるようになり、'''{{Ruby|喜多川歌麿|きたがわうたまろ}}'''や'''{{Ruby|東洲斎写楽|とうしゅうさいしゃらく}}'''は歌舞伎役者の肖像画を、'''{{Ruby|歌川広重|うたがわひろしげ}}'''は『東海道五十三次絵』などの風景画を、'''{{Ruby|葛飾北斎|かつしかほくさい}}'''は『冨嶽三十六景』など風景画のほか様々な構図の絵をあらわしました。
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