「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

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*:江戸時代の日常生活で使われた貨幣は、1636年に発行が開始された'''{{ruby|寛永通宝|かんえいつうほう}}'''<span id="寛永通宝">でした。寛永通宝が安定して発行されるようになったので、[[小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代#永楽通宝|永楽通宝]]などを使用する必要はなくなりました<ref>ただし、明治になるまで、永楽通宝1000文=金1両として扱われました。</ref>。
*:しかし、大きな取引になると、寛永通宝では枚数が多くなって不便なので、商人の間の取引や職人の給金の支払いには、'''銀'''が使われました。江戸時代の初めは、銀の重さで取引をしていて、幕府が重さを保証した大型の{{ruby|丁銀|ちょうぎん}}や小型の{{ruby|豆板銀|まめいたぎん}}が流通していましたが、江戸幕府の後期に、{{ruby|一朱銀|いっしゅぎん}}・{{ruby|二朱銀|にしゅぎん}}・{{ruby|一分銀|いちぶぎん}}のような貨幣が発行されました。銀貨を{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}していた所を、「{{ruby|銀座|ぎんざ}}」といい、現在の東京都中央区銀座にありました。
*:大名の取引や大人の間の取引といった、さらに大きな取引には、金貨がつかわれました。金は{{ruby|小判|こばん}}と呼ばれる貨幣が発行され、小判1枚は1{{ruby|両|りょう}}という単位で流通しました。さらに、これを補助する通貨として4枚で1両とする{{ruby|一分金|いちぶきん}}や、4枚で1分とする{{ruby|一朱金|いっしゅきん}}が発行されました。小判など金貨を{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}していた所を、「{{ruby|金座|きんざ}}」といいます。金座は、現在の東京都中央区にあり、現在、そこには、日本の紙幣を発行する{{ruby|日本銀行|にほんぎんこう}}の本店があります。
*:このように、江戸時代は銭(寛永通宝)、銀、金といった3種類の貨幣が流通していたのですが、各々の流通していた量が一定ではなかったため、お互いの交換する割合は時々で変わりました。この交換({{ruby|両替|りょうがえ}})を行なったのが、'''{{ruby|両替|りょうがえ}}商'''です。
*:この時代には、{{ruby|紙幣|しへい}}(紙のお金)は発行されていませんでしたが、各藩は、借金をしてその証明書を小口にしたものを発行し、それは、お金と同じように取り扱われました。これを、{{ruby|藩札|はんさつ}}と言います。藩札も、両替商で、銭(寛永通宝)などに交換されました。