「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:*'''万葉集'''
:*:このころになると、日本でも、漢字を使える人たちが相当に増え、そういう人の中から、漢字一文字の音を日本語の音に当てるという工夫が生まれ一般的になってきました。この工夫から、日本語の{{Ruby|詩歌|しいか}}である{{Ruby|和歌|わか}}が文字で記録できるようになりました。こうして記録した和歌をまとめた{{Ruby|万葉集|まんようしゅう}}が759年ごろに{{Ruby|編纂|へんさん}}されました。貴族だけでなく、農民など様々な身分の者が作ったと思われる和歌も{{Ruby|収録|しゅうろく}}されており、合計で4500首の歌が収録されています。このため、当時の庶民の生活の様子がよくわかったりします。
:*:また、このような、漢字で日本語の音を表す工夫を{{Ruby|万葉仮名|まんようがな}}<span id="万葉仮名"/>といい、後世の[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#かなの発明|{{Ruby|仮名|かな}}(ひらがな、カタカナ)]]の源流となります。
<div style="margin:0 4em 0 8em">
{| style="border:1px solid #777; background-color:#ffffff; width:100%; margin:0.25em 0"
| style="padding:0.25em 0.5em" |<small>'''万葉仮名の例'''
:万葉集に収録された和歌を使って、万葉仮名の例を示します。
:
:;しろかねも くがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも
:これは、奈良時代の歌人{{ruby|山上憶良|やまのうえのおくら}}の和歌です。意味は、
::「白銀(しろかね)も、黄金(くがね = こがね)も、宝石(たま)も、何ということがあろうか(なにせむに)。それに{{ruby|勝|まさ}}る宝で、子に及ぶものはない」
:::(金銀・宝石といった宝より、自分にとって子供が何よりの宝である)
:
:これは、万葉集では以下のように書かれています。
:;<u>銀</u>母 <u>金</u>母<u>玉</u>母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
:*ここで、下線を引いた「銀」「金」「玉」は、その漢字の意味から「しろかね」「くがね」「たま」と読みます。漢字の訓読みと同じですね。
:*では、「<u>銀</u>母 <u>金</u>母<u>玉</u>母」の「母」はどうでしょう。ここでは、「はは」の意味はなく、音読みの「モ」の音で読んで、「{{ruby|<u>銀</u>|しろかね}}{{ruby|母|も}} <u>{{ruby|金|くがね}}</u>{{ruby|母|も}}<u>{{ruby|玉|たま}}</u>{{ruby|母|も}}」と読みます。
:*以下同様に、漢字の意味にかかわらず、漢字1文字について、日本語の音1音を当てています。
:*:{{ruby|奈尓世武尓|なにせむに}} {{ruby|麻佐礼留多可良|まされるたから}} {{ruby|古尓斯迦米夜母|こにしかめやも}}
:この、漢字1文字に日本語の音1音を当てる工夫から、のちにひらがな、カタカナが生まれます。
</small>
|}</div>
:
:*'''{{ruby|和同開珎|わどうかいちん}}の{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}'''<span id="和同開珎"/>[[File:Wadōkaichin found at Sūfuku-ji Temple Site TNM front.jpg|thumb|150px|和同開珎(東京国立博物館所蔵)]]
:*:平城京完成前の708年、日本で初めて<ref>それ以前に「'''{{ruby|富本銭|ふほんせん}}'''」という貨幣があったという説がありますが、反対意見も強く決着していません。</ref>の{{ruby|貨幣|かへい}}(お金)「'''{{ruby|和同開珎|わどうかいちん}}'''<ref>{{ruby|珎|ちん}}を「{{ruby|寶|ほう}}(「宝」の旧字体)」の略字とみて「わどうかいほう」と読む説もあります</ref>」が{{ruby|鋳造|ちゅうぞう}}<ref>金属をとかして、型に流しこんで、製品を作ること。</ref>されました。