「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:*:[[#遣唐使|白村江の戦いにまけてからのちの数回の使者の派遣]]もあって、また、遣唐使を派遣するようになりました。遣唐使の中には、長い間留学し、その経験を朝廷で発揮するものもいました。たとえば、<span id="吉備真備"/>{{Ruby|吉備真備|きびのまきび}}は、十数年唐に留学し、多くの書物と楽器や日時計といったものを日本に持ち込み、政治の世界ではその経験をいかして[[#太政官|右大臣]]にまでなりました。また、{{Ruby|阿倍仲麻呂|あべのなかまろ}}は、真備とともに唐に渡って、学問をおさめますが、大変優秀であったため、唐の役人になり出世しました<ref>唐は、国際的な国で、中国人でなくても高位の役人になれました。</ref><ref>仲麻呂は、30年以上唐に滞在し、老齢になって日本に帰国しようと、遣唐使の帰りの船に乗りましたが、難船し船は唐に戻り、結局帰国できず唐の地で亡くなりました。</ref>。
:*:また、唐の建築様式が伝えられ、宮殿や役所、寺院などが唐風に作られました。唐風建築は、現在でも『薬師寺東塔』などに残っており、日本の寺院建築に大きな影響を残しました。
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:*<span id="記紀"/>'''歴史書の{{ruby|編纂|へんさん}}'''
:*:中国の王朝には、前の王朝までの歴史を{{ruby|編纂|へんさん}}<ref>いろいろな資料を集めて、一つの書物を作ること。</ref>する習慣があります。朝廷は中国をまねて、712年に『'''{{ruby|古事記|こじき}}'''』、720年に『{{ruby|日本書紀|にほんしょき}}』を完成させました。『古事記』には、神話の時代から[[#推古|推古天皇]]にいたるまでのできごとが物語を語るように書かれていて、『日本書紀』には神話の時代から持統天皇までの歴史が、神話時代は元となる資料を比較し、天皇の代になってからは、できごとの起こった順に沿って書かれています。古事記と日本書紀は、あわせて『{{ruby|記紀|きき}}』と言っています。