「小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代」の版間の差分

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:1221年、{{ruby|後鳥羽|ごとば}}上皇は、将軍ではなく執権が実権をにぎる幕府をたおせとの命令を出し軍を東に出しました。
:このとき、頼朝の妻で当時の執権{{ruby|北条義時|ほうじょうよしとき}}の姉でもある{{ruby|北条政子|ほうじょうまさこ}}<ref name="北条氏"/>は、武士たちに、「あなたたちに頼朝があたえたご{{ruby|恩|おん}}は、山よりも高く、海よりも深いものです。その恩にむくいようとするものは、力を合わせて敵軍をうちとり、幕府をまもるでしょう。」と、武士たちによびかけ、武士たちをまとめました。
:多くの御家人の支持は幕府に集まり、北条氏の幕府軍と、上皇方の軍との戦争は、北条氏の側が勝利しました。後鳥羽上皇らは{{ruby|流罪|るざい}}、上皇に味方した公家や武士は処分され、幕府は朝廷側についた者の所領の多くを没収し、東国の御家人をそこの地頭に置きました。上皇方についた武士は西日本に所領を持つものが多かったため、鎌倉幕府の勢力は、一挙に西日本にも及ぶことになりました。また、京都には、もともと守護として京都守護がおかれていたのですが、あらためて{{ruby|六波羅探題|ろくはらたんだい}}<span id="六波羅探題"/>がおかれ、京都の日常の警察活動のほか、朝廷の監視、鎌倉から遠い西日本の訴訟などを行ようになりました。
 
;武士のくらし