「小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: 差し戻し済み
55 行
 
=== 室町時代の文化 ===
==== 室町時代の農村の生活 ====
[[File:Tukinami huuzoku taue.jpg|thumb|200px|室町時代の田植えの様子。『{{ruby|月次風俗図屏風|つきなみふうぞくずびょうぶ}}』より]]
:平安時代後期から、公領や荘園での農業は「[[小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代#名田|名田]]」が単位となっており、人々は名田ごとにばらばらにはなれて住んでいました。しかし、鎌倉時代の後期から、地頭などが国司や荘園領主から自分の領地にしていき、荘園領主との関係が薄まると、用水など農地の管理がおろそかになるようになりました。農民たちは、用水の配分や水路・道路の補修、境界の争いを、近隣の人々が集まって自ら行うようになり、また、戦乱や盗賊からの自衛などをきっかけに、まず畿内や近畿周辺で、耕作する田から住居がはなれ、農民同士が集合する集落<ref>近隣に住む'''{{ruby|惣|すべ}}'''ての農民からなるということから、'''{{ruby|惣|そう}}'''または'''{{ruby|惣村|そうそん}}'''とよびます。</ref>が次第にできていきました。現在の「'''い領主に対して、対立するようになり、{{ruby|年貢|ねんぐ}}が重い場合は、集団で領主におしかけてうったえでたり、全員がから{{ruby|逃亡|とうぼう}}したりして{{ruby|対抗|たいこう}}するようになりました。一方で、農民が、普段は農耕をしなが、戦になると[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代|{{ruby|足軽|あしがる}}'''」]]としてかりだされるこ家臣となって武士となることもあって、武士と農民差ははっきりしなくなってきました<ref>鎌倉時代から南北朝にかけての武士は、立派な{{ruby|鎧兜|よろいかぶ}}に、刀・{{ruby|鎧兜|よろいかぶと}}、戦い用の馬や馬具をそろえ、また、家来の武具などそろえなければならなかったので、武士がそれほど増えるこはなかったですが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|応仁の乱以降、戦い方も変わり]]、馬に乗らず、防具も身軽なものになるなどして、武士になるハードルがかなり下がりました。<span id="惣村"/ref>。
:室町時代には、村でまとまって、{{Ruby|厳|きび}}しい領主に対して、対立するようになり、{{ruby|年貢|ねんぐ}}が重い場合は、集団で領主におしかけてうったえでたり、全員が村から{{ruby|逃亡|とうぼう}}したりして{{ruby|対抗|たいこう}}するようになりました。一方で、農民が、普段は農耕をしながら、戦になると[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代|{{ruby|足軽|あしがる}}]]としてかりだされることや、そのまま、守護や国人の家臣となって武士となることもあって、武士と農民の差ははっきりしなくなってもきました<ref>鎌倉時代から南北朝にかけての武士は、立派な{{ruby|鎧兜|よろいかぶと}}に、刀・{{ruby|鎧兜|よろいかぶと}}、戦い用の馬や馬具をそろえ、また、家来の武具などもそろえなければならなかったので、武士がそれほど増えることはなかったのですが、[[小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代#下克上の時代|応仁の乱以降、戦い方も変わり]]、馬に乗らず、防具も身軽なものになるなどして、武士になるハードルがかなり下がりました。</ref>。
{{-}}
==== {{ruby|倭寇|わこう}}と{{ruby|勘合貿易|かんごうぼうえき}} ====