「小学校社会/6学年/歴史編/貴族の文化-平安時代」の版間の差分

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=== 平安遷都 ===
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:794年<ref>有名な年代暗記の語呂合わせに「鳴くよ(794)ウグイス平安京」「泣くよ(794)坊さん」平安京」があります。</ref>、{{Ruby|桓武|かんむ}}天皇は都を[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#平城京遷都|平城京]]から、'''{{ruby|平安京|へいあんきょう}}'''(現在の京都市)にうつしました(平安遷都)。政治の中心地が平安京であった、これから、約400年間の時代を '''{{Ruby|平安|へいあん}}時代''' といいます。平安時代は、前の飛鳥時代や奈良時代の約200年間に比べて、約400年間、政治の体制もほとんどかわらず、比較的安定していた時代ですが、ゆっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっくりとではあっても大きく変わった時代です。
:遷都の理由はよくわかっていません。以下に参考として、いくつかの説を紹介します。
:#遷都により人心の一新をはかった。
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:#*人口が増える一方で、土地の{{ruby|開墾|かいこん}}が進まず、田を割り当てられなくなった(くわしくは、次に説明します)。
{{-}}
 
=== 貴族の台頭・荘園の発生と拡大 ===
:律令制の役人の多くは、貴族であって<ref>律令には、{{ruby|家柄|いえがら}}にかかわらず、能力に応じて役人として採用し役職につけることが決められていましたが、実際は、文字(漢字)の読み書きができるような教育をうけさせられる家はごくわずかでしたし、親が役人であれば子が役人になりやすい仕組みもあって、役人を出せる一族はほぼきまっていました。</ref>。[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#班田収授|役人になると官位や役職に応じて、何十倍から何百倍もの広い農地がわりあてられ]]、そこからの収穫が報酬となりましたが、代々役人をつとめることで、貴族は富をたくわえていきました。