「高等学校世界史探究/産業革命Ⅱ」の版間の差分

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 都市部だけでなく、地方の伝統的な農民社会も乗っ取られ、共有地の放牧や木の伐採で小遣い稼ぎをする家族も少なくありません。多くの人が貧しく、その様子は当時の文章によく記されています。ロマン主義は、当時の文学作品、特に詩に大きな影響を与えました。ロマン主義は、産業革命以前の農民の生活を空想し、産業文明を批判する傾向がありました。それ以来、産業革命がイギリス人の生活を良くしたのか悪くしたのかが話題になるようになりました。現代から見れば、産業革命を経た国々の生活水準が高いのは明らかです。しかし、その間に様々な社会問題が発生したため、かつては生活水準が低下したという説も根強くあります。都市部の人々は農村部のようにお互いをよく理解していないので、貧困救済が両地域で大きな問題となりました。18世紀末には、基本的な生活水準を満たすだけの収入が得られない人々を支援するために、補助金制度が設けられました。しかし、この制度はあまりにも高額だったため、1834年、エリザベス1世の時代から続いていた救貧法を全面的に改め、'''「自助」の精神'''を重視するようになりました。自助の精神に重きを置く考え方は、ピューリタニズムから生まれ、産業革命が進むにつれて勢力を拡大した中産階級に受け入れられました。この考え方からすると、貧困の原因は個人にあります。サミュエル・スマイルズの『自助論』という本は、自助の精神の必要性を訴え、大ヒットしました。明治時代「西国立志篇」には、中村正義がこの本を日本に持ち込み、大ヒットさせました。
[[ファイル:18th century Luddite workers destroy textile machine.png|サムネイル|'''ラッダイト運動のイメージ''']]
 
 これに対して、労働者は団結して労働条件の改善を求めるようになりました。これには政府も神経を尖らせ、'''団結'''(結社)'''禁止法'''(1799年~1800年)を制定して、これをやめさせようとしました。機械化で職を失った職人達は、古くからの打ち壊し習慣に従い、中部のメリヤス織りを中心とした「'''機械打ち壊し運動(ラッダイト運動)'''」に参加しました。「ネッド・ラッド」がリーダーでしたが、本当に存在したのかどうかは定かではありません。この運動も1810年代にピークを迎え、その後消滅しました。機械化は止められない流れになりました。