「中学受験社会/歴史/下巻」の版間の差分

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==== 発展的事項:大津事件(おおつ じけん)====
[[ファイル:Prince Nicolas at Nagasaki.jpg|thumb|350px|ニコライ皇太子。1891年、長崎に訪問時のニコライ皇太子(左の車上の人物がニコライ。)]]
[[ファイル:Iken Kojima.jpg|thumb|250px|児島惟謙(こじま これかた)]]
1891年、ロシアの皇太子のニコライ2世(ロシア語: Николай II, ラテン文字表記: Nicholai II)が日本を訪問し、日本政府はニコライを接待していた。当時の日本は近代化したばかりの小国であり、いっぽう、ロシアは大国であった。
 
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この事件で、日本の政府はロシアの報復をおそれて、裁判所に犯人を死刑にするように要求した。
 
[[ファイル:Iken Kojima.jpg|thumb|250px|児島惟謙(こじま これかた)]]
しかし、当時の最高裁判所である{{ruby|大審院|だいしんいん}}の院長である{{ruby|児島惟謙|こじま これかた}}は、日本の刑法の法律にもとづくと、この場合は死刑は不可能であり、{{ruby|無期懲役|むきちょうえき}}にするべきと主張とした。
 
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結局、日本の裁判所は、法律にしたがって、犯人を無期懲役にすることに決まった。
 
日本の法律にもとづき、政府からの干渉をはねのけた判決は、当時の欧米からも日本の近代化の進展ぶりを示すもの、というふうに高く評価をされた{{誰}}。
 
(関連事項:[[中学受験社会/公民/政治とくらし#裁判所]]および[[中学受験社会/公民/政治とくらし#三権分立]])