「中学受験社会/歴史/中巻」の版間の差分

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→‎朝鮮出兵: 表記の統一、受験への対応強化等。
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=== 朝鮮出兵 ===
国内を統一した秀吉は、つぎに、外国を征服(せいふく)しようとした。そのため、中国大陸、当時は明(みん)という国を征服しようとした。このための足がかりとして、まず朝鮮(ちょうせん)に通行の許可(きょか)や協力などをもとめたが、朝鮮に断られたため、朝鮮との戦争になり、2度にわたって朝鮮に兵をおくって戦争をした。('''文禄・慶長の役''')
 
この戦争を日本の呼び方で、<big>朝鮮出兵</big>(ちょうせん しゅっぺい) とか <big>朝鮮侵略</big>(ちょうせん しんりゃく)と いいます。
 
なぜ秀吉が明への侵略戦争進攻を考えたはじめたかについては、学者でも、まだ理由が解明されていません。仮説(かせつ)は多くありますが、学者の研究途中です。
 
秀吉の朝鮮出兵は2度、ありますが、最初の1回目の出兵は1592年にあり 文禄の役(ぶんろくのえき) と言い、2回目の出兵は1597年にあり 慶長の役(けいちょうのえき) と言います。
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**朝鮮に、大きな被害を与えた。
**戦争で消耗した明(みん)の力も弱まる。
**朝鮮人の捕虜が日本兵の帰還に同行させたりして、朝鮮の陶磁器(とうき)の文化が日本に伝わる。朝鮮人の捕虜が日本に連行されたり、物品の略奪などを通して。佐賀県の有田焼(ありたやき)、鹿児島県の薩摩焼(さつまやき)、山口県の萩焼(はぎやき)など。今では、その地方の特産品の一つになっている。
**朝鮮の活字(かつじ)技術が日本に伝わる。
 
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| || 1590 日本を統一する || 1590 秀吉の命令で、関東に領地をうつす
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| || 1592 朝鮮をせに攻込む(文禄の役) ||
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| || 1597 ふたたび朝鮮をせに攻込む(慶長の役) ||
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| || 1598 病死する ||