「中学受験社会/歴史/中巻」の版間の差分
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差し戻しかつ四谷大塚『予習シリーズ 社会 5年下』p.80, p.82にあわせた記述に変更。 |
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また、各産業の同業者組合である座(ざ)の独占権を廃止し、だれでも商売が始められるようにします。このように座の独占権を廃止したことを 「楽座」(らくざ) と言います。
そして、商業を活発にするための信長による一連の規制(きせい)の撤廃(てっぱい)などの商業の振興策(しんこうさく)を、
==== 本能寺の変 ====
[[ファイル:Sengoku period 1582.png|thumb|400px|1582年]]
1582年、中国地方へと勢力をひろめるため、織田軍は秀吉などに命じて、中国地方の大名の毛利と戦争をしていました。信長はこれを支援するため中国地方に向かう途中、京都の本能寺に泊まって
このとき、家臣の
この1582年の本能寺での一連の事件が
:( 語呂合わせ:いちごパンツ(1582)の信長 本能寺(ほんのうじ)で、没す(ぼっす) )
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* 太閤検地(たいこうけんち)
農民から年貢を取るための土地の調査を
検地は信長の時代からも行われていたが、秀吉は各地でちがっていた長さや面積などの単位を全国で統一させた。年貢をおさめる枡(ます)も全国で統一させた。マスの基準(きじゅん)は、京都で使われていた京枡(きょうます)が全国の基準の枡になった。
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豊臣秀吉は、キリスト教を禁止します。
1587年にキリスト教の宣教師(せんきょうし)を日本の外へ追放
しかし南蛮貿易は許可していたこともあり、取り締まりの効果は不十分だった。
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一般に言われているのは、キリシタン大名の大村純正が長崎をキリスト教に寄付し、長崎がキリスト教の領地になっていることを、九州の平定の際に知った秀吉が、キリスト教は天下統一のさまたげになるだろうと考えたから、と言われています。
=== 朝鮮
国内を統一した秀吉は、つぎに、外国を征服(せいふく)しようとした。そのため、中国大陸、当時は明(みん)という国を征服しようとした。このための足がかりとして、まず朝鮮(ちょうせん)に通行の許可(きょか)や協力などをもとめたが、朝鮮に断られたため、朝鮮との戦争になり、2度にわたって朝鮮に兵をおくって戦争をした。
この戦争を日本の呼び方で、
なぜ秀吉が明への
秀吉の朝鮮出兵は2度
2つの出兵とも、最終的に日本は朝鮮の撃破(げきは)に失敗します。
[[image:TurtleShip1795.jpg|thumb|left|250px|『行録』などの記述をそのまま絵にしたもので、亀甲船の'''想像図'''。少なくとも18世紀以後に描かれたものであり、史料価値はほとんどない。]]
1回目の朝鮮出兵である文禄の役 では、朝鮮の各地や海上で日本軍は朝鮮軍と戦いましたが、朝鮮の軍人である李舜臣(日本語よみ :り
朝鮮の民衆も朝鮮軍に協力したが、このため、朝鮮軍だけでなく朝鮮の民衆も戦争に巻き込まれた。
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戦国時代では、手柄をしめすために敵の将の首を切り取り送るのが一般だったのです。階級の低い敵兵の場合には首ではなく鼻などを切り取っていました。
1598年に日本国内で秀吉が病死し、朝鮮
* 朝鮮
**日本の諸大名などからの豊臣氏への信用が弱まり、のちに、豊臣氏が没落していくキッカケの一つになる。
**朝鮮に、大きな被害を与えた。
**戦争で消耗した明(みん)の力も弱まる。
**朝鮮人の捕虜が日本
**朝鮮の活字(かつじ)技術が日本に伝わる。
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| || 1590 日本を統一する || 1590 秀吉の命令で、関東に領地をうつす
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| || 1592 朝鮮
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| || 1597
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| || 1598 病死する ||
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