「小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代」の版間の差分

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:武士の世界の進展は、刀ややじりの買い手を増やしました。買い手が増えると、売り手(作り手)である{{ruby|鍛治|かじ}}も増えますし、鉄を作るのに木炭の生産も増えます。そうすると、刀以外の鉄製品が安くなり、農具にも多く用いられるようになって米など農産物の生産が増えます。増えて、日々の生活から余ったものについては売りに行きますから、商業がおこります。
:また、多くの武士は戦さのために馬を使うため、馬を飼う習慣が広がります。馬を飼うようになると、戦さのないときには、馬で遠くへ農産物や工芸品などを多く運ぶことにも使うようになりました。また、農村が豊かになると、牛などを買い求め<ref>当時は、牛を食べることはめったになく、「すき」などを引かせるのに使っていました。</ref>田畑をより深くたがやし収穫量を増やすことができるようになりました。
:清盛が盛んにした[[#日宋貿易|日宋貿易]]は、平家滅亡後もつづけられました。<span id="日宋貿易"/>日本からいろいろなものが輸出されましたが、中でも、日本刀は重要な輸出品でした<ref>ただし、多くは武器として使われたのではなく、中国で鉄器の材料となったのではないかといわれています。</ref>。日本からの輸出に対して、多くの宋の貨幣'''{{ruby|宋銭|そうせん}}'''<span id="宋銭"/>が入ってきました。日本でも708年に[[小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代#和同開珎|和同開珎]]を作り、その後も朝廷は何種類もの何度も貨幣を作ったのですが、奈良代から平安時代の中期にかけては、貨幣を使うほどのものの取引は少なく、また、朝廷の発行する貨幣の品質が悪かったなどの理由で人々にあまり使われませんでした。そのため、作られた量もあまり多くはなく、貨幣を作る仕組みが十分にできませんでした<ref>品質の高い貨幣を大量に鋳造するには、大量の銅鉱石やそれを鋳造するための炭などを安定して手に入れ、その職人を確保しておく必要があります。この仕組みが確立するのは、日本では、[[小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ#寛永通宝|江戸時代のこと]]になります。</ref>。平安時代後期から鎌倉時代にかけて、商業が盛んになったのにともなって、宋銭が人々の間で使われるようになりました<ref>宋銭は、質の良い銅でできているので、初めのうちは仏具の材料として輸入されていました。これを、国産の貨幣と同じように貨幣として使用することを進めたのは平清盛であると言われています。</ref>。
:また、朝廷の力が弱まった頃は山中などで{{ruby|盗賊|とうぞく}}におそわれることもよくありましたが、守護や地頭がおかれたことで各地の治安が安定すると、産品を安全に遠距離輸送できるようになり、こうして、庶民を含めた人々の生活が多様で豊かなものになってきました。
;鎌倉仏教<span id="鎌倉仏教"/>