「小学校社会/6学年/歴史編/下巻」の版間の差分

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このようにして、日本は、アジアで初めて、憲法にもとづいて議会政治を行う近代国家となった。
 
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;領土問題
* 領土問題について
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島根県の{{Ruby|隠岐島|おきのしま}}の北西にある'''{{Ruby|竹島|たけしま}}'''は、古くは「{{Ruby|'''松島'''|まつしま}}」と呼ばれていました。
 
17世紀初期から江戸幕府が{{Ruby|鎖国政策|さこくせいさく}}の中で、竹島への{{Ruby|渡航|とこう}}を認め、'''あしか{{Ruby|猟|りょう}}'''が行われるようになりました。また、竹島の西にある{{Ruby|'''鬱陵島'''|うつりょうとう}}(当時はこの島を「竹島」と呼んでいた。)に'''あわび漁'''や'''あしか猟'''に行く{{Ruby|際|さい}}の'''{{Ruby|航海|こうかい}}の目印'''や{{Ruby|'''停泊地'''|ていはくち}}としても活用され、遅くとも17世紀半ば頃には、日本は竹島に対する'''領有権'''<ref>領有権とは、国が一定の地域に対して主権を行使することができる権利のことです。領有権は、通常、早い者勝ちですが、領土問題に発展することを避けるため、条約に基づいて行われる事例やどこの国の支配も及んでいないことを調べてから行うこと例もあります。</ref>を確立しました。
 
竹島(松島)でのあしか猟は、明治時代の終わり頃から本格化し、多くの漁民が猟を行うようになり、民間の竹島利用がさかんになりました。