「憲法概論」の版間の差分

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従順な国民や憲法擁護派
2006年9月4日 (月) 23:27までrv(ノートで合意ができたようなので)
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 地球上の各国家にはたいていは、憲法というものがある。唯一、正しい憲法が世界的に共通で定められてというわけではない。正しい憲法というより、国民の選択、為政者が決めたものに過ぎない。正しい憲法など、元々、存在はせず、かりのものである。別にそれが神聖なものだとかいうように信仰的になることはないものである。神聖とか正しいものだとか思うのは勝手だが、過去の歴史を見ると、思い込んだ(された)国民は後で戦死、非戦闘員の死亡などの馬鹿をみてきた。いたずらにお上に従順な者も憲法擁護派も再考が必要であろう。必要に応じて、変えていくこともあれば、軍事クーデター、無血革命、政変で変わることも多いし、過去の日本もそうであったのはご承知であろう。現在では極悪人とされている(かどうかは別としても)ヒットラーのナチス政権下であっても憲法のもとで国政が行われていた。一応は、その憲法の下部法規で大量殺人工場で牛や豚を屠殺するがごとく殺人が組織的に実施されたので犠牲者数も甚大であった。命令された軍人は上官に逆らえば軍法会議で処刑されるという背景で無理からぬことであった。憲法に基ずく法規である以上、彼ら軍人は毒ガス等で強制収用所の囚人を殺し、処刑するのは当然の職務であった。憲法は最終的には個人の生命も自由にするもので無関心ではいられないはずである。此処では、日本に関することである。日常用語として我々が「憲法」と言う時、それは一国のあらゆる法の中で最上位の基本的な法律であり、しかも「憲法」という名称を持つ特別の文書を、指していると思われる。これは法学の世界では「形式的意味における憲法」とか「憲法典」などというものである。ではそうでない憲法とは何だ?と問う方もいるだろう。実はあるのである。それがここで言う憲法の概念の問題である。<BR>
 憲法は、現代日本では英語の“Constitution”の訳語とされている。“'''constitution'''”とは、辞書を繰ると「構成、構造、組織」とあるのが普通だ。「体質、体格、気質」というのもある。そして法や政治の文脈で使われると「国制、憲法」ということになる。<br>
 '''国制'''、とは聞き慣れない方も多いだろうが要するに「国の制度」である。法学、政治学の世界では細かい制度はあまり考慮せず、国の姿を大きく規定するような制度のみを「国制」として考えている。だがその境界線は、どこにあるのだろう。ハッキリとした答はない。だから国制として考える範囲は、国によっても、論者によってもいろいろである。だがまあ、国の構造として例えば自動車の左側通行などはあまり大きな意味はなさそうだ。日本の場合、自動車など殆ど無かった時代に人と車を単純に左右に分ける、という発想で成立しただけらしい。だから国制を考える際に、いちいち道路交通の諸制度は論じないのである。<br>
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 ところで、「'''憲法'''」という日本語の漢字2文字の概念だが、法学、政治学の世界ではこのような「'''国制'''」という意義でも使われるのである。これを「'''実質的意味における憲法'''」という。およそ国たるもの、政治のやり方は何らかであれ存在する以上、この「実質的意味における憲法」が無い国、というものは想定できない。たとえ武力クーデターで成立した独裁者の王国であれ、「その誰それという独裁者が発する命令が全てである。ただしそれ以外は従前のままの政治生活がなされる」という程度の「憲法」は存在する、と言える。はっきり言って政治体制とか政治制度、と呼んでも良い。なお、このことについてフランス革命中に国民議会が制定した人権宣言([[w:人間と市民の権利の宣言|人間と市民の権利の宣言]])で、「権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない社会は、およそ憲法をもつものではない」と述べられていることとの関係は、次節を見られたい。
 
 
===憲法の分類基準あれこれ===