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=== 鎌倉幕府の滅亡 ===
[[ファイル:Emperor Godaigo.jpg|thumb|300px|後醍醐天皇
1324年、{{ruby|後醍醐天皇
しかし、幕府に不満のあった各地の武士や御家人たちが、天皇に味方して各地で兵をあげはじめました。また、悪党<ref><当時の「悪党」という言葉は、「強いもの」という意味です。</ref>という、幕府や荘園領主に従わない武装勢力が力をのばしていましたが、その中には後醍醐天皇に味方する者がいました。特に{{ruby|楠木正成|くすのきまさしげ}}が知られています。
1333年、後醍醐天皇が隠岐から脱出し、鎌倉幕府を倒す命令を出すと、御家人であった{{ruby|'''足利尊氏'''|あしかがたかうじ}} は幕府を裏切り、京都の六波羅探題を攻め落とします。さらに、関東では{{ruby|新田義貞|にったよしさだ}} が鎌倉を攻め落とし、鎌倉幕府は1333年に滅びました。
[[ファイル:Ashikaga Takauji Jōdo-ji.jpg|thumb|300px|足利尊氏の肖像画]]
=== 建武の新政から南北朝の対立へ ===
1333年、後醍醐天皇は京都にもどり、天皇による新しい政治を始めた。この年に年号を建武にかえたので、この後醍醐天皇による1333年からの新たな政治を<big>建武の新政</big>(けんむ の しんせい) という。
しかし武士に対する恩賞が少なく、また新しい制度が貴族に大きな権力を与えるものであったので、武士からの不満が大きかった。
建武の新政への不満から、1335年に足利尊氏が反乱を起こし京都を占領したので、たったの2年ほどで建武の新政は終わった。後醍醐天皇は奈良の吉野(よしの) に逃げます。
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