「小学校社会/6学年/歴史編/戦乱の世の中と日本の統一-戦国時代・安土桃山時代」の版間の差分

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:その中で、1543年{{ruby|種子島|たねがしま}}にポルトガル人が漂着し、'''{{ruby|鉄砲|てっぽう}}'''が伝えられました。当時の鉄砲は、{{ruby|筒|つつ}}先から、丸い{{ruby|弾|たま}}と火薬をつめ、ねらいを定めたら、手元の火のついた縄で火薬に火をつけうつというもので'''{{ruby|火縄銃|ひなわじゅう}}'''と呼ばれています。火縄銃の弾がとどく{{ruby|距離|きょり}}は、100mほどでしたが<ref>この距離は意外と短いです。一発うつと、次のをうつのに弾と火薬を、また筒先からつめないといけないので、その間に馬などに乗った敵に近づかれてしまいます。</ref>、{{ruby|鎧|よろい}}をつらぬくほどの威力があって、おどろきをもってむかえられます。すぐに、火縄銃の製造法({{ruby|鉄砲鍛冶|てっぽうかじ}})が習得され、全国で製造されるようになって、各地の戦国大名がもちいるようになり、戦争の様子が大きく変わりました。
{{-}}
[[File:Namban-13Nanbansen Carrack by Kano Naizen.jpg|thumb|200px|{{Ruby|南蛮屏風|なんばんびょうぶ}}(※ 一部分)<br>南蛮貿易のようすがかかれています。日本人がえがいたものです。]]
:この漂着を機会に日本への航路を発見したポルトガルとスペインは、日本では'''{{ruby|南蛮人|なんばんじん}}'''と呼ばれ、九州の{{ruby|長崎|ながさき}}や{{ruby|平戸|ひらど}}や、大阪の{{ruby|堺|さかい}}の港などを{{ruby|訪|おとず}}れ各地の戦国大名などと貿易を行うようになります('''{{ruby|南蛮貿易|なんばんぼうえき}}'''<span id="南蛮貿易"/>)。
:南蛮貿易で、ボルトガルは、ヨーロッパから持ち込んだものではなく、日本・中国(明)・インド(ゴアという町をポルトガルの領地にしていました)・東南アジアを結んだ貿易をしていました。