「小学校社会/6学年/歴史編/天皇中心の国づくり-飛鳥時代から奈良時代」の版間の差分

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:*:法律の研究はさらに進み、701年に、「律」の部分もそろった '''{{Ruby|大宝律令|たいほうりつりょう}}'''が完成して、しっかりとした法律にもとづく天皇を中心とした国づくりが完成することになります<ref>「'''日本'''」という国の名前は、大宝律令の完成にともない、「倭」に代わって、決められたとも言われています。</ref>。この律令によって、政治を行うことを「'''{{Ruby|律令制|りつりょうせい}}'''」 と言います。
:*:'''律令制の役所'''<span id="律令制"/>
[[file:律令体制wikibooks.png|thumb|800px|「令」に決められた朝廷の仕組み(点線で囲まれたものは、律令ができたころはなかったのですが、のちに増やされた役職です)]]
:*::「令」によって、朝廷の仕組みが明確になりました。
:*::「令」によって、朝廷の仕組みが明確になりました。
:::*政治を行う「{{Ruby|太政官|だじょうかん}}」と、宮中の{{Ruby|祭祀|さいし}}を行う「{{Ruby|神祇官|じんぎかん}}」に分けられます。
:*::*<span id="太政官"/>「太政官」には{{Ruby|太政大臣|だじょうだいじん}}、{{Ruby|左大臣|さだいじん}}、{{Ruby|右大臣|うだいじん}}などがいて重要なことをとりあつかいます。
:*::*「太政官」の下に、租税を扱う{{Ruby|民部省|みんぶしょう}}、軍事を扱う{{Ruby|兵部省|ひょうぶしょう}}、朝廷の財産を扱う{{Ruby|大蔵省|おおくらしょう}}など専門をあつかう、8個の役所(省)が作られました。
:*::*国司も「太政官」の下にありました。九州は、畿内から遠い一方で大陸とは近かったので、{{Ruby|太宰府|だざいふ}}と言う特別の役所がおかれました。
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