「刑法総論」の版間の差分

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====議論の歴史====
本来はドイツで成立した議論である。従前の刑法体系を[[w:結果無価値|結果無価値論]]と名付けてこれを批判し、自らの立場を行為無価値論として社会的価値観を基礎に刑法を解釈すべしと主張された。
その後戦後の新憲法を背景に、[[w:平野龍一|平野博士]]によって[[w:団藤重光|団藤博士]]を始めとする従前の刑法体系を価値の押し付け的な行為無価値であるとして批判し、刑法の違法性はあくまで結果無価値によるべきとする論が展開された。
 
行為無価値論の代表とされた団藤博士や[[w:大塚仁|大塚博士]]らが積極的にこれに対する反論をしなかったため結果無価値論は隆盛し学会において多数説化する。とりわけ東京大学においては、[[w:藤木英雄|藤木博士]]の逝去によって、実務は未だいわゆる行為無価値論(正確には結果無価値行為無価値二元論)を採るにもかかわらず刑法講座は全て結果無価値論者で占められる事態となる。
 
その後[[w:大谷実|大谷教授]][[w:前田雅英|前田教授]]らによる対立の調和が試みられる一方で、[[w:山口厚|山口教授]]による平野説を基本とした結果無価値の徹底的な純化も図られた。
 
戦後隆盛した結果無価値論が一応の到達点を見たこと、ロースクールの開講によって学者といえども実務の実態を無視できなくなったことなどから、今後議論の方向性が変化するとも考えられる。