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==DNAの組換え==
 さて、上記の修復機構は二本鎖のうち片方のみが損傷している場合についてのものだったが、二本鎖の両方が損傷を受けている場合、話は厄介になる。このときには、'''[[w:遺伝的組換え|相同組換え]]'''なる機構が働くことになる。
 
 相同組換えにおいては、塩基配列が似通った部分で組み換わる。塩基配列が似通った部分がそろうようにして2組の二本鎖DNAが並ぶと、それらが同時に切断され、続いて類似部分で交差する。これによって、2組のDNA分子は二本鎖のうち1本ずつの交差によって、物理的に結びついた状態になる。相同組換えにおいて重要なこの中間体を'''[[w:ホリデイ連結|ホリデイ連結]]'''と言い、切断点によってそれぞれ異なった1対の組換え分子2本に分離する。また、相互的構造転換も可能である。
 
 これまで相同組換えについて見てきたが、相同でないDNA配列間でも組換えは起きる。それらは、動く遺伝因子: '''[[w:トランスポゾン|トランスポゾン]]'''と呼ばれる特殊な塩基配列の移動による。これらは、組換えに必要な酵素: '''トランスポザーゼ'''の遺伝子をそれ自身に持っており、その働きでゲノム内を移動する。トランスポザーゼは、ある配列を認識し、その配列に挟まれたDNAを切り取り(もしくはコピーし)、それをゲノム上の他の場所に移動させる。この際、いったんRNAに転写されてから移動するものを'''[[w:レトロトランスポゾン|レトロトランスポゾン]]'''、そういったプロセスを経ずにDNAとして転移するものを'''DNA型トランスポゾン'''という。
 
 生物のDNAのかなりの部分をトランスポゾンが占めていて、例えばヒトゲノムでは45%がこの種の配列である。ただそれらは長い間に変異が蓄積したために動く能力を失っているものが大半である。
 
==ウィルス==
 これらのトランスポゾンは宿主とする細胞から離れる能力を本質的に欠いている。しかしはるか昔、おそらくある種のトランスポゾンが自分の核酸(つまりRNAかDNA)を外被に包み、細胞の外に出られるようになったのだと考えられている。これがすなわち'''[[w:ウィルス|ウィルス]]'''である。ウィルスのゲノムはあまりに少なく、自らを複製して増殖するのに必要な酵素などを作ることができないので、細胞に感染し、その生合成装置を乗っ取って利用しなければならない。ウィルスが細胞に感染すると、その複製装置を使ってゲノムを複製し、外被タンパクを合成し、細胞膜を破って宿主細胞を融解させつつ外部に出ていくことになる。
 
 細菌に感染するウィルスと真核生物に感染するウィルスには類似点が多いが、'''[[w:レトロウイルス科|レトロウィルス]]'''は真核細胞にしか見られない。それらはRNAのゲノムを持ち、多くの点でレトロトランスポゾンに似ている。両者において重要なのは、通常の流れ、つまりDNAをもとにしてRNAが合成される'''[[w:セントラルドグマ|セントラルドグマ]]'''が成立していないということである。これは、レトロウィルスが持つ'''[[w:逆転写酵素|逆転写酵素]]'''の存在による。
 
 レトロウィルスが細胞に感染すると、いっしょに入った逆転写酵素が、RNAゲノムを元にして二本鎖DNAを合成する。ウィルスゲノムが持つ'''[[w:インテグラーゼ|インテグラーゼ]]'''によって、それらの配列は宿主細胞のゲノムの任意の位置に組み込まれる。この状態では、ウィルスは休眠状態にある。宿主細胞の分裂のたびに、そのゲノムに組み込まれたウィルスのゲノムも複製され、娘細胞に伝えられる。やがて、宿主細胞のRNAポリメラーゼによって、組み込まれたウィルスDNAが転写され、元のウィルスゲノムとまったく同一の一本鎖RNAが大量に合成される。次に、これが宿主細胞の装置を使って翻訳され、ウィルスの外殻タンパクや逆転写酵素などが作られ、これらがRNAゲノムと集合して、新しいウィルス粒子を作るのである。
 
==転写:DNAからRNAへ==
 遺伝情報とは、端的に言えばタンパク質のアミノ酸配列を暗号化したものである。しかし、DNAが直接にタンパク質の合成に関わるわけではなく、そこにはRNAが伝令・運搬役などの仲介者として存在している。タンパク質を合成する際には、それに関わるDNAの塩基配列がRNAに写しとられ、これをもとにして合成が行なわれる。このRNAを'''[[w:伝令RNA|メッセンジャーRNA: mRNA]]'''と呼ぶが、このとき、情報はDNAからRNAを介してタンパク質に流れていく。このような流れはあらゆる細胞で普遍的なもので、これを前述のように'''セントラルドグマ'''と呼ぶ。
 
 DNAの情報をRNAに写しとるとき、DNAとRNAの違いはあってもヌクレオチドであることに変わりはないので、これを[[w:転写 (生物学)|転写]]と呼ぶ。転写を行なう酵素は'''[[w:RNAポリメラーゼ|RNAポリメラーゼ]]'''と呼ばれ、その機能はおおむねDNAポリメラーゼと同様だが、違いが2つある;言うまでもなく、DNAでなくRNAを合成することがその1つである。またもうひとつの相違点とは、RNAプライマーゼと同様に、プライマーRNAなしで合成を開始することができるという点である。
 
 RNAには多くの種類があるが、タンパク質合成に関して主要なものは3つ挙げられる。1つは上述のメッセンジャーRNA:mRNAだが、残る2つは'''[[w:リボソームRNA|リボソームRNA: rRNA]]'''と'''[[w:転移RNA|トランスファーRNA: tRNA]]'''である。これらの機能については後述する。
 
 さて、ゲノムDNA上にはRNA合成開始を指示する'''[[w:プロモーター|プロモーター]]'''領域と、その終了を指示する'''ターミネーター'''領域があるが、原核細胞においては、RNAポリメラーゼのサブユニットである'''σ因子'''がプロモーターを識別する。RNAポリメラーゼはDNA鎖にゆるく結合し、鎖上を滑っていくが、プロモーター領域に達すると、ポリメラーゼはσ因子を放出するとともにDNA鎖に固く結合し、転写を開始する。やがてターミネーターに達すると、RNAポリメラーゼはDNA鎖より離れ、遊離していたσ因子と再結合する。なお、原核細胞においてmRNAはそのまま“翻訳”され、また1分子のRNAが複数のタンパク質をコードする('''ポリシストロニック'''である)という特徴がある。
 
 前節では原核細胞について述べたが、真核細胞での転写にはいくつかの相違がある。まず、真核細胞には核があり、転写は核内,翻訳は細胞質で行なわれる。このため、翻訳前にmRNAは核の外に移送されねばならない。そしてまた、真核細胞においては、mRNAは'''[[w:mRNA前駆体|RNAプロセシング]]'''なる種々の加工処理を受けなければ、mRNAとして機能しないのである。
 
 RNAプロセシングにおいて、主な処理は3種類ある。
 
1つめは'''[[w:キャップ構造|キャップ形成]]'''で、これは7-メチルグアニンという特殊なヌクレオチドをRNAの5’末端に付加するものである。
 
2つめは'''[[w:ポリアデニン|ポリアデニル化]]'''で、mRNAの3’末端にある特定配列(ポリA配列付加シグナル)を認識しこれを切断、そこにアデニン(A)の反復配列である'''ポリA尾部'''を付加する。
 
3つめは'''[[w:Pre-mRNA スプライシング|スプライシング]]'''で、これはタンパク質をコードする部分: '''[[w:ソン|エクソン]]'''を残して、それ以外の部分: '''[[w:イントロン|イントロン]]'''を除去するものである。
 
 このうち、[[w:Pre-mRNA スプライシング|スプライシング]]がもっとも重要と見なされていて、駿台予備校の医系生物で教えるほどである。スプライシングにおいて重要なのは、これまでは主としてタンパク質による作業だったのに対して、この作業の中核となるのがRNA:つまり'''[[w:snRNA|核内低分子RNA:snRNA]]'''であるということである。スプライシングはまず、snRNAがエキソンとイントロンの境界を識別することによってはじまるのである。また、このsnRNAにタンパク質が結合したものを[[w:核内低分子リボ核タンパク質|核内低分子リボ核タンパク粒子:snRNP]]と呼ぶ。そして、snRNPが中心となるRNAとタンパク質の巨大な複合体である'''[[w:スプライソソーム|スプライソソーム]]'''が実際にスプライシングを担当する。
 
 複数のイントロンをもつRNAがスプライシングを受ける場合、遺伝子によってはイントロンとイントロンに挟まれたエキソンが一緒に切り出され、結果的に構成エキソンの異なる複数種の成熟RNAができることがある。これを'''[[w:Pre-mRNA スプライシング #選択的スプライシング|選択的スプライシング]]'''と呼び、これによって、真核生物のゲノムは、その指令能力をさらに増強されている。ヒトの遺伝子の実に60%がこの選択的スプライシングを受けると言われており、これこそが、スプライシングという一見ムダに見えるプロセスが行なわれる理由であろう。
 
 さて、このようにして成熟したmRNAは核外へと移送される。mRNAが核膜孔を通るとき、mRNAに結合していたRNPは取り除かれ、同時に、mRNAはその後の“翻訳”作業を行なう能力を与えられる。
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== 翻訳:RNAからタンパク質へ ==
 さて、これまで何度か“'''[[w:翻訳 (生物学)|翻訳]]'''”という言葉を使ってきた。分子生物学において、それはRNAによって伝えられる情報を設計図としてタンパク質を作ることを意味する。DNAからRNAへの転写のときとは違い、この作業は、ヌクレオチドとは化学的にまったく別物であるアミノ酸にその情報の担い手が変わるために、この呼び名がある。
 
 20種のアミノ酸を指定するのに遺伝子が使うのはわずかに4種の塩基に過ぎないが、これは塩基配列においては遺伝暗号の形で記録されているためで、これはほとんどの生物で共通である。塩基配列においては、塩基3つの組み合わせ(トリプレット): '''[[w:コドン|コドン]]'''がそれぞれ1つのアミノ酸を指定している。しかし、コドンが直接アミノ酸を識別し、結合するわけではなく、そこには介在するアダプターが存在する。これがつまり'''運搬[[w:転移RNA|転移RNA: tRNA]]'''で、これらはmRNAのコドンと相補的塩基対を形成する3つのヌクレオチド: '''[[w:アンチコドン|アンチコドン]]'''を持っている。そしてその3’末端にはアンチコドンに対応するアミノ酸が結合しているのである。つまりmRNAの各コドンは、一義的にはそれと相補的な関係にあるアンチコドンを持つtRNAを指定していて、それを通じて、それらのtRNAに対応するアミノ酸を指定していることになる。
 
 そして、それぞれのコドンに対応するアンチコドンを持つtRNA を識別し、そのアミノ酸をつないでタンパク質を合成するのが'''[[w:リボゾーム|リボゾーム]]'''である。リボゾームは[[w:リボゾームRNA|リボゾームRNA:rRNA]]とリボゾームタンパクによって構成される複合体で、真核生物でも原核生物でも大小1つずつのサブユニットより構成されている。小サブユニットはtRNAをmRNAのコドンに結合させ、大サブユニットはアミノ酸間にペプチド結合を形成してポリペプチド鎖を形成させる。タンパク質合成の中心となるこの反応を触媒する酵素を'''ペプチジル基転移酵素'''と呼ぶが、その触媒部位はもっぱらRNAで出来ている。このように、触媒活性を持つRNA分子を特に'''[[w:リボザイム|リボザイム]]'''という。リボザイムの存在などから、タンパク質やDNAが登場する前の生命の最初期には、遺伝子も触媒も全部RNAだけに頼っていた時代があったと考えられており、これを'''[[w:RNAワールド|RNAワールド]]'''と言う。
 
 さて、コドンがアミノ酸を指定していることから、mRNAのタンパク合成開始点は、指令全体の読み枠を決める非常に重要な存在であることが分かる。塩基ひとつでもずれようものなら、そこから後のコドンがすべて間違って読み取られてしまうのである。mRNAの翻訳は、mRNA上の'''[[w:開始コドン|開始コドン]]'''(塩基配列はAUG)によって開始される。これと対応する特別なtRNAは'''開始tRNA'''と呼ばれるが、これはメチオニンと翻訳開始因子というタンパク質を運ぶ。
 
真核生物ではメチオニルtRNA:tRNAmetが開始tRNAとなり、これはまず遊離しているリボソームの小サブユニットに結合する。これによって、小サブユニットは5'キャップ構造を目印としてmRNAを探して結合し、鎖上を移動して開始コドンを探す。開始コドンを見つけると、小サブユニットは翻訳開始因子の一部を放出して大サブユニットと結合し、これによって完成されたリボソームがタンパク合成を開始する。
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 原核生物ではN-ホルミル-メチオニル-tRNA:tRNAfmetが開始tRNAとなるが、真核生物とは異なり、mRNAには目印となる5'キャップ構造がない。そのかわり、開始コドンの数塩基上流に'''リボソーム結合配列: RBS'''があり、これを利用してリボソームはmRNAに結合する。
 
 タンパク質の翻訳領域の終わりには'''[[w:終止コドン|終止コドン]]'''(塩基配列はUAA,UAG,UGAのいずれか)がある。リボソームが終止コドンにさしかかると、'''終結因子'''と呼ばれるタンパク質がリボソームのRNA結合部位に結合し、この結果、ポリペプチド鎖はtRNAから離れて細胞質に放出される。
 
 ほとんどのタンパク質の合成は20秒から数分で終了するが、その間にもmRNA上では次々と新しい翻訳がはじまるのが普通である。1つのリボソームでの翻訳が進み、十分な距離が開くとすぐに次のリボソームがmRNAに結合する。この結果、1つのRNA上でリボソームが数珠繋ぎになっていることが多く、この状態を'''ポリリボソーム'''と呼ぶ。
 
 このようにして合成されたタンパク質は、働き終わると種々の'''[[w:プロテアーゼ|タンパク質分解酵素: プロテアーゼ]]'''によって分解され、過剰反応が起こらないように制御されている。真核細胞の細胞質で働くプロテアーゼは、[[w:プロテアソーム|プロテアソーム]]と呼ばれる大型の複合体である。プロテアソームによって分解されるべきタンパク質は'''[[w:ユビキチン|ユビキチン]]'''という小さいタンパク質によってマーキングされており、この分解システムを'''ユビキチン-プロテアソーム系'''と言う。
 
== 遺伝子発現の調節 ==
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 細胞において、多くのタンパク質は全ての細胞において同様に発現している。これを'''ハウスキーピングタンパク'''と呼び、DNAポリメラーゼやRNAポリメラーゼ、リボソームタンパクなどがそれである。しかしその一方で、細胞の種類に応じて特有なタンパク質も確かに存在する。それらは、遺伝子の発現が適切に調節されることによって生産されるのである。
 
 遺伝子の発現調節は、DNAからRNAを経てタンパク質に到る経路のあらゆる段階で行なわれる。しかし大多数の遺伝子においては(おそらく不要な中間体の生成を避けるためであろうが)第1段階、つまり''DNAからRNAへの'''転写に際しての調節がもっとも重要'''である''
 
 前述したとおり、転写はゲノムDNA上にあるプロモーター領域によって開始せしめられる。しかし大部分の遺伝子においては、それ以外にも、遺伝子のスイッチのオン・オフに必要な'''調節DNA'''が存在している。それらは転写開始を決めるシグナルを出すが、転写を左右するスイッチとして機能するには、DNAに結合する'''遺伝子調節タンパク'''によって認識されねばならない。
 
 遺伝子調節タンパクはいくつかの'''DNA結合モチーフ'''を持っている。DNA結合モチーフとは、DNAとの結合に関与する特定のアミノ酸配列からなる部分のことで、これによって、遺伝子調節タンパクはしっかりとDNAと結合する。[[w:ジンクフィンガー|ジンクフィンガー]][[w:ロイシンジッパー|ロイシンジッパー]],また[[発生生物]]でお馴染みの[[w:ホメオドメインフォールド|ホメオドメイン]]などがその例である。
 
 細菌やウィルスの転写調節はもっとも単純で、よく解明されている。まずは、大腸菌の[[w:トリプトファン|トリプトファン]]合成系を例に取る。大腸菌においては、トリプトファンをつくる生合成経路の酵素は5つの遺伝子によって指令されるが、この5つの遺伝子は染色体上の1ヶ所にまとまっていて、1個のプロモーターから転写されて1本の長いmRNA分子が作られ、このmRNAから5個のタンパク質が合成される。このように膚接して存在し、関連して発現する遺伝子群を'''[[w:オペロン|オペロン]]'''と言うが、これは原核生物に特有の構造である。このオペロンにおいて、プロモーター内には遺伝子調節タンパクが結合する短い塩基配列: '''[[w:オペレーター|オペレーター]]'''がある。ここに遺伝子調節タンパクが結合すると、RNAポリメラーゼのプロモーターへの結合が妨げられ、このオペロン全体の転写が抑制される;すなわちトリプトファン合成酵素が作られなくなる。この遺伝子調節タンパクを'''トリプトファン・リプレッサー'''と呼ぶが、これは[[w:アロステリック効果|アロステリック・タンパク]]で、[[w:フィードバック阻害|フィードバック調節]]を行なっている。つまり、トリプトファン分子と結合しているときだけオペレーターDNAと結合できるのであって、周囲のトリプトファン濃度が下がってトリプトファンと結合できなくなると、タンパクの三次元構造が変化して、DNAに結合できなくなる。するとRNAポリメラーゼはプロモーターに結合できるようになるので、トリプトファンが合成される。そしてトリプトファンがある程度生産されて濃度が高まると、リプレッサーはトリプトファンと結合して活性化し、トリプトファン合成を抑制するようになるのである。
 
 リプレッサーはその名のとおりに反応を抑制するものだが、細菌の遺伝子調節タンパクには、これとは逆に反応を加速させるものがあり、これを'''アクチベーター'''と呼ぶ。リプレッサーと同様、アクチベーターもフィードバック調節を行なっていることが多い。例えば、細菌のアクチベーターであるCAPは、[[w:環状アデノシン一リン酸|サイクリックAMP:cAMP]]に結合してはじめてDNAに結合できる。従って、CAPによって活性化される遺伝子は、細胞内のcAMP濃度が上昇するとスイッチが入り、転写が活性化する。
 
 多くの場合、1つのプロモーターの活性は正負双方の制御を受ける。オペロン説の提唱のきっかけとなった[[w:ラクトースオペロン|ラクトースオペロン:lacオペロン]]にしてからがそうである。lacオペロンはlacリプレッサーとアクチベータータンパクCAP(=CAP)の両方により制御される。細胞にとって望ましい炭素源であるグルコースがないとCAPがはたらき、ラクトースなど代わりの炭素源の利用を可能にする遺伝子群が活性化する。しかしそもそもラクトースがない場合には、lacオペロンの発現を誘導しても無駄であるから、lacリプレッサーがはたらいてオペロンの転写を抑制する。
 
==遺伝子発現の調節;真核生物において==
 
 真核生物においては、1個の遺伝子が多数の異なるシグナルに応答するのが普通で、遺伝子調節はもっと複雑である。真核生物の転写開始は、重要な4つのポイントにおいて細菌とは異なっている。
 
# そもそも、[[w:RNAポリメラーゼ|RNAポリメラーゼ]]そのものが違う。細菌にはただ1種類のRNAポリメラーゼがあるのみだが、真核細胞にはRNAポリメラーゼⅠ,Ⅱ,Ⅲの3種があり、それぞれ異なる遺伝子群の転写を行なう。
# 細菌ではRNAポリメラーゼが単独で転写を開始できるが、真核生物においては'''転写基本因子'''なるタンパク質がプロモーターのところで集合しなければ転写を開始できない。
# 真核生物においては、プロモーターから距離がある、複数の部位で転写調節をすることができる。
# 最簿に、真核生物においてDNAはヌクレオソームや、それがさらに凝縮したクロマチン構造をとっていることも考慮されねばならない。
 
 ここで、mRNAの指令を行なう酵素であるRNAポリメラーゼⅡが転写を開始する時を例にとって、真核細胞における転写調節のメカニズムを見ていくこととする。前述したとおり、真核生物のRNAポリメラーゼが転写を開始するには、転写基本因子がプロモーターのところで集合しなければならない。その会合は、二本鎖DNA中のある短い塩基配列に転写基本因子が結合することによってはじまる。この配列は主にTとAからなるので'''[[w:TATAボックス|TATAボックス (ターター・ボックス)]] '''と呼ばれる。この転写基本因子のなかには'''TATA結合タンパク:TBP'''なるサブユニットがあり、これがTATAボックスに結合することで、DNAは変形せしめられる。これが目印となって、次々に他のタンパク質がプロモーターのところで会合し、RNAポリメラーゼⅡを中核として転写開始複合体を形成する。その後、さらに別の転写基本因子の働きによってRNAポリメラーゼⅡは転写開始複合体から離れ、RNA分子の合成を開始するのである。
 
==遺伝子発現と分化==
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==遺伝子とゲノムの進化==
 生命は、様々な手段を用いて遺伝子の維持および複製の正確性を保障しようとする。しかしそれがまったくの無謬であれば、そこに生命の進化は存在しえない。種の多様性は、ゲノムの複製が持つ保存的正確性と、一方でしばしば犯される創造的誤りの維持との微妙な均衡から生み出されるのである。
 細胞分裂が個体を生み出し成長させ、また次の世代を生み出す。細胞分裂が系統樹を描き、個体をその祖先に結びつける。それゆえ、単細胞生物では、系統樹は単純な細胞分裂の枝分かれの図そのものである。しかし有性生殖を行なう多細胞生物においては、次の世代にゲノムを伝える細胞は一部に過ぎず、細胞分裂の系統樹は複雑になる。体内の大部分を占める'''体細胞'''は、自分自身の子孫を残さずに死ぬ運命にある。一方、'''生殖細胞'''は受精という過程を経て、次の世代にゲノムを伝える。したがって、体細胞に生じる変異はその個体限りであるが、生殖細胞に生じる変異は次の世代に伝わる。このことから、生殖細胞を生み出す細胞系譜を特に'''生殖系列'''と呼ぶ。
 
 細胞分裂が個体を生み出し成長させ、また次の世代を生み出す。細胞分裂が系統樹を描き、個体をその祖先に結びつける。それゆえ、単細胞生物では、系統樹は単純な細胞分裂の枝分かれの図そのものである。しかし有性生殖を行なう多細胞生物においては、次の世代にゲノムを伝える細胞は一部に過ぎず、細胞分裂の系統樹は複雑になる。体内の大部分を占める'''[[w:体細胞'''|体細胞]]は、自分自身の子孫を残さずに死ぬ運命にある。一方、'''[[w:生殖細胞|生殖細胞''']]は受精という過程を経て、次の世代にゲノムを伝える。したがって、体細胞に生じる変異はその個体限りであるが、生殖細胞に生じる変異は次の世代に伝わる。このことから、生殖細胞を生み出す細胞系譜を特に'''生殖系列'''と呼ぶ。
 進化は作曲よりも変奏に近い。進化はDNA塩基配列の変化によって生じるが、それらは5種類の基本的な遺伝子変化の組み合わせに起因する。
 
 ''進化は作曲よりも変奏に近い''。進化はDNA塩基配列の変化によって生じるが、それらは5種類の基本的な遺伝子変化の組み合わせに起因する。

# 遺伝子内変異:これは1個のヌクレオチドの変化、あるいは数個の欠失という形で生じる、いわゆる'''[[w:点変異|点変異]]'''である。DNA複製ないし修復の失敗によって生じるものであるが、その影響としては、遺伝子の機能を微調整するか、その活性をまったく失わせるかもしれないし、あるいは何もしないかもしれない。
# [[w:遺伝子重複|遺伝子重複]]:これが大規模に起きたときは、重複した2つの遺伝子のうち1つが自由に変異して特殊化し、元の遺伝子から分岐することで、類縁遺伝子のファミリーを構成し、1個の細胞内に一連の近縁遺伝子群が生じることがある。また小規模におきたときは、同一エキソンの繰り返しで新しい遺伝子が生じることもある。
# 遺伝子欠損:これは染色体の切断が修復されないものである。個々の遺伝子、あるいは一群の遺伝子全体が欠失することがある。
# エキソンの混ぜ合わせ:遺伝子重複によって遺伝子内でエキソンを重複させるのと同じ組み換えが2つの異なる遺伝子間で起こり、別遺伝子由来の異なるタンパクドメインをつくる2つのエキソンがつながることがある。また、[[#DNAの組換え|5章]]で触れたトランスポゾンによって、エキソンが移動することもある。
# 遺伝子の水平伝播:DNA断片がゲノム間を移動し、交換されるものである。前四者がゲノム内で起きるものであったのに対し、これはゲノム間で起きるもので、種の違いを超えることもしばしばである。[[#クローニング|14章]]で触れるプラスミドが関与することも多い。
 
 さて、ゲノムの変化を支える基本的な分子機構が理解されたことによって、ゲノム塩基配列の比較解析によって進化の歴史を解明することが可能になった。まったく偶然に左右されて自然選択の影響を受けない遺伝子頻度の変動のことを'''[[w:遺伝的浮動|遺伝的浮動]]'''というが、これがどの程度のレベルで起きるかを知り、それによって相同遺伝子の頻度を比較することで、比較する2種がいつ分岐したかを知ることができる。遺伝子間のこのような関係をたどっていけば、異種間の進化的関係が分かり、すべての生命を1つの巨大な生命の系統樹のなかに位置づけることができるのである。
 
 このようにして、分子生物学的手法によって進化の歴史の手がかりを得ることができる。
しかし、かの有名な[[w:ヒトゲノム・プロジェク計画|ヒゲノム計画]]は、必ずしもヒトの進化を解明するためだけに行なわれたわけ''ではない''。これはヒトのゲノムの全塩基配列を決定し、その全遺伝子情報を解読することを目的として行なわれた国際的協同プロジェクトで、13年間の年月が費やされた。それは学術上だけでなく、実際上も多くの恩恵をもたらすものである。これによって、先天性・後天性を問わず各種の病気の予防,診断や治療が効果的に行なえるようになり、また適切な創薬も可能になるだろう。
 
 しかしそのようにして解読されたヒトゲノムにも、多数の変動という注釈がついている。これは当然ながら個々人によってゲノムに差異が存在するためで、それこそが個性の源となる。2人の人間についてそのゲノムを比べると、ほぼ0.1%の違いがあり、これは一倍体につき実に300万塩基に相当する。それら、ヒトゲノムの遺伝的変動のほとんどは、'''[[w:一塩基多型|一塩基多型: SNP]]'''と呼ばれる一塩基だけの変化のかたちをとっている。SNPは非常に高密度に存在するため、これを追跡することで、疾患感受性などの特異的形質を解析することができる。
 
==DNAの分析法==
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 組替え技術が開発されるまで、細胞の働きを理解するのにゲノムという枠を超えることはできなかった。遺伝子はゲノムのなかに散在していて、それがどこにあるのかすら分からず、機能を綿密に調べるなどというのは夢のまた夢だった。
 
 しかし、'''[[w:制限酵素|制限酵素]]'''の発見が状況を変えた。これはDNAの特定な塩基配列を識別して二本鎖を切断する酵素で、生物界に広く分布するが、研究で用いられるのはもっぱら細菌由来のものである。これによって、ある特定のDNA分子を必ず同じ部位で切断できるので、適切な制限酵素を用いることで、DNA試料を望む大きさの断片に切断することができる。制限酵素が標的とする塩基配列は回文構造(パリンドローム)をなしていることが多く、また、制限酵素には、DNA二本鎖をまっすぐに切断して'''平滑末端'''を形成させるものもあるが、二本鎖を互い違いに切断して'''突出末端'''を形成させるものもある。突出末端を形成しているとき、同じ制限酵素で切断された塩基配列同士は、[[w:DNAリガーゼ|DNAリガーゼ]]により相補的塩基対形成を行なうことで容易につなぐことができる。また、平滑末端同士でも、DNAリガーゼによって連結することができる。
 
 制限酵素によって切断されたDNA断片を分離し、分析するためには'''[[w:電気泳動|電気泳動]]'''が用いられる。これはいわばDNA断片をゲルのふるいにかけるようなもので、DNA断片はその大きさによって分離される。ゲルの平板をつくり、その一端にDNA断片の混合物を置くと、'''DNA断片は負に帯電している'''ので、断片は陽極に向かって移動する。断片が大きいほどゲルの網目に引っかかりやすいので移動速度が遅くなり、この結果、DNA断片は大きさに従って分離されてはしご状のバンドを形成する。それぞれのバンドは長さの等しいDNA断片の集合なので、その部分を取り出すことで、特定のDNA断片を単離できる。また、あらかじめDNAに放射性元素を取り込ませておいた上で電気泳動し、そのゲルにフィルムを重ねておけば、DNA断片が集合している部分でフィルムが感光するので、分離結果を容易に検出することができる(これを'''[[w:オートラジオグラフィー|オートラジオグラフィー]]'''と呼ぶ)。
 
 DNA断片が分離されたら、次はその配列を決定しなければならない([[w:DNAシークエンシング|DNAシークエンシング]])。それに用いられるのは基本的に'''[[w:ジデオキシ法|ジデオキシ法]]'''である。この手法では、塩基配列を求めたいDNA断片の部分的なコピーを作るのだが、その際、コピーを作るためにつかうデオキシヌクレオチドのなかにDNA伸長阻害剤であるジデオキシヌクレオチドを少量加えておくと、これが取り込まれた所でDNA鎖の伸長が停止する。ジデオキシヌクレオチドはランダムに取り込まれるので、いろいろな長さのDNA鎖が生成することになる。4つの塩基をそれぞれ使った4種のジデオキシヌクレオチドを個別に加えて合成させた反応生成物を、電気泳動法で分析して塩基配列を読み取るのである。現在、泳動から塩基配列の読み取りまでが自動化されたDNAシーケンサーが開発され、多用されている。
 
 このようにしてゲノムの塩基配列が決定されても、それはまだ始まりにすぎない。それが含む遺伝子を同定し、その発現を調べなければならないが、それは遺伝子の基本的性質を利用することによって達成できる。DNAは通常二本鎖を形成しているが、これは相補的な塩基間での水素結合によるので、熱や酸によって解離する。その後、ゆっくりと温度を下げ、あるいはpHを中性に戻すと、相補鎖同士は再び水素結合により二本鎖を再形成する。これを'''[[w:分子交雑法|ハイブリッド形成]]'''あるいは'''再生'''と言い、これを利用して、特定の塩基配列を効率よく検出することができる。'''DNAプロー'''は任意の塩基配列を持つある程度の長さの一本鎖DNAで、これと二本鎖構造を形成させることによって、相補性のあるDNA断片を識別することができるのである。この手法を'''[[w:サザンブロッティング|サザン・ブロット法]]'''と呼ぶ。通常、DNAプロープは放射性物質で標識され、オートラジオグラフィで検出されることになる。なお、同様の技術をRNAに適用する場合は[[w:ノーザンブロッティング|ノザン・ブロット法]]と呼ぶが、ハイブリッド形成はDNA同士でもRNA同士でも、DNA鎖とRNA鎖の間でも起きる。
 
 ハイブリッド形成の最大の使い道は遺伝子発現の決定であるが、ここで使用されるのが'''[[w:DNAマイクロアレイ|DNAマイクロアレイ]]'''である。発現を決定するためにはmRNAを検出すればよいのだが、mRNAは操作が難しいので、細胞から抽出されたmRNAは、逆転写酵素によって、[[w:相補的DNA|相補的なDNA(cDNA)]]に変換される。DNAマイクロアレイは多数のDNA断片を貼り付けた顕微鏡用スライドグラスで、それぞれのDNA断片がDNAプロープとして使用される。cDNAを蛍光プロープで標識した上でマイクロアレイと反応させ、ハイブリッドを形成させる。そしてアレイを洗浄して反応しなかったcDNA分子を除去すれば、どのcDNAがどのDNAプロープと反応したかを知ることができるのである。
 
==クローニング==
 細胞と同様、染色体についても実験を行なうためには多くのサンプルが必要である。従って、研究の対象となる特定のDNA塩基配列を増幅する必要が生じるが、ここで多用されるのが'''[[w:ポリメラーゼ連鎖反応|ポリメラーゼ連鎖反応:PCR法]]'''である。PCR法においてはまず、標的とする領域の始めと終わりで鋳型DNAとハイブリッド形成するヌクレオチド鎖を合成し、プライマーとする。次に鋳型DNAを加熱して解離させ、これにプライマーを加えてから温度を下げると、プライマーは鋳型DNA鎖とハイブリッド形成するので、これにDNAポリメラーゼと4種類のデオキシリボヌクレオチドを加えれば、各々のプライマーからDNA合成が行なわれる。合成されたDNA鎖を熱処理して解離させると、この一連の反応が繰り返される。
 
 しかし上記から類推できるとおり、PCR法を適用するには、その始めと終わりの塩基配列が既知でなければならず、また大きな遺伝子を扱うには適さない。そのようなときには'''DNAクローニング'''という手法が依然として用いられる。
 
 この手法は、増幅したいDNA鎖を細菌などに組み込むことによって、その宿主細胞が分裂するときに、細胞自身のDNAと同時に組み込んだDNA鎖も複製させるものである。従って、まずは増幅したいDNAを細菌に組み込まなければならない。そのための運び屋:'''[[w:ベクター|ベクター]]'''として多用されるのが'''[[w:プラスミド|プラスミド]]'''である。プラスミドは自己複製する能力を持った小さな環状二本鎖DNAで、遺伝子の水平伝播にも関与する;実際、クローニングは原理的に遺伝子の水平伝播と同様である。クローニングしたいDNA断片をプラスミドに挿入するには、プラスミドDNAを1ヶ所のみで切断する制限酵素で処理し、クローニングしたいDNA断片を挿入し、DNAリガーゼにより共有結合でつなぐ。こうしてできた組換え体DNAを宿主細胞に導入して培養させたのち、細胞を溶解する。プラスミドDNAは細胞の他の成分より小さいため、分離精製することでこれを得ることができる。DNA断片を回収するには、適切な制限酵素で処理したのちに電気泳動を行なえばよい。
 
 そしてまた、クローニングはDNAの複製だけではなく、細胞DNAを保存し、また特定の領域をそこから単離するためにも用いられる。それにはまず、ヒトDNAを1種類の制限酵素で切断し、断片化する。数百万種にも及ぶ断片をそれぞれ1個ずつプラスミド・ベクターに挿入した上で、そのプラスミドを細胞(たいてい大腸菌)に導入する。このとき、それぞれの細胞に1個より多くのプラスミドが取り込まれることが無いようにしなければならない。このようにして得られた大腸菌中のDNA断片の集合を'''[[w:遺伝子ライブラリ|ゲノム・ライブラリ]]'''と呼ぶ;大腸菌に組み込むことで、ゲノムはより安定な状態で保管できるのである。ライブラリから情報を引き出したいときは、培地上で大腸菌にコロニー群を形成させ、そのなかから目的とするDNA配列を含むコロニーを識別し、抽出することで、そのDNA配列を手に入れることができる。
 
 しかし、このようにして入手されたDNAは全てが遺伝子という訳ではなく、多くのイントロンを含んでいる。エキソン領域のみを取り出すためには、ハイブリッド形成のときと同様にcDNAを使えばよい。というのも、cDNAはmRNAを元にしているため、スプライシングによってイントロンが除去されているためである。このようにして作られるライブラリを'''cDNAライブラリ'''と呼ぶ。
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 DNAクローニングの用途の一つが、細胞内の微量タンパク質の大量生産である。つまり、そのタンパク質を指令するDNAをベクターに組み込んで宿主細胞に導入し、タンパク質を産生させるのだが、これには'''発現ベクター'''なる特別なベクターが使われる。発現ベクターは遺伝子発現調節DNAやプロモーターDNAを含み、効率的な産生を可能にしている。
 
 DNAクローニングに用いられる組換え技術を応用し、未知のタンパク質の機能や発現を調べることもできる。そのために用いられるのが'''[[w:レポーター遺伝子|レポーター遺伝子]]'''で、これは毒性がなく、かつ活性の測定が容易であることが条件となる。調べたいタンパク質を指令する遺伝子のプロモーターの下流にこれを連結すれば、その遺伝子とともにレポーター遺伝子も発現することになる。レポーター遺伝子は、その産物タンパクの蛍光または酵素活性を追跡して検出できるようになっていることが多いが、その代表例が、[[w:下村脩|下村脩]]が2008年にノーベル化学賞を受賞したことで一般にも有名になった[[w:緑色蛍光タンパク質|緑色蛍光タンパク:GFP]]である。調べたい遺伝子の一端にこれを繋ぐと、タンパク質はGFPと融合した形で産生されるが、その挙動は元のタンパク質と同様なので、細胞内や生体内でのタンパク質の分布は、GFPの緑色蛍光を追跡することで容易に検出できる。
 
 また、ある遺伝子の挙動を知るためには、その遺伝子を変異させた変異体をつくることが有効である。そのためには正確に変異を導入しなければならないが、ここで用いられるのが'''部位指定変異導入'''である。まず、変異を導入したい領域を含む正常DNA断片をプラスミド・ベクターに組み込み,その二本鎖を解離する。次に、目的の変異塩基配列を持ったオリゴヌクレオチドを合成し、上記の一本鎖DNAとハイブリッド形成させる。変異部にミスマッチを含み部分的に二本鎖となったDNA上で、このオリゴヌクレオチドをプライマーにしてDNA合成を行い、二本鎖DNAを形成させる。このDNAを導入して生じる娘細胞の中には変異型遺伝子をもつものと野生型遺伝子をもつものとが半数ずつ含まれるので、目的の変異型遺伝子を含むものを同定して回収する。
 
 このようにしてつくられた変異遺伝子の機能を検証するには、最終的にそれを生物のゲノムに挿入してその影響を見なければならない。細菌や酵母など一倍体生物においては導入した変異DNAと染色体DNAの相同組換えによってこのような遺伝子置換は比較的容易に可能だが、マウスなどゲノムが大きくて複雑な生物においては困難である。生殖細胞に変異遺伝子を導入すれば、子孫の少なくとも一部はそれをゲノムの一部として伝えることになる。そのようにしてつくられる遺伝子導入生物のうち、もっとも有名なのが'''[[w:ノックアウトマウス'''|ノックアウトマウス]]だろう。これは特定の遺伝子が破壊されたマウスで、[[w:胚性幹細胞|胚性細胞:ES(ES細胞)]]を利用して作られるが、かなり面倒な作業である。
 
 最近、より簡単に遺伝子を不活性化できる技術が開発された。これは'''[[w:RNAi|RNA干渉:RNAi]]'''と呼ばれ、不活性化したい遺伝子と一致する塩基配列を持った二本鎖RNA分子を導入することによって達成される。導入されたRNAは、標的遺伝子から作られるmRNAとハイブリッド形成し、分解させてしまう。分解によってできた断片RNAは二本鎖RNAの再構成に使われ、これによって二本鎖RNAは維持され、また娘細胞にも伝えられる。さらに、RNAi機構はヘテロクロマチンの構成にも関与するらしいことが分かってきた。mRNAの分解から生じた断片RNAは核内に入って標的遺伝子そのものと直接作用し、遺伝子をヘテロクロマチン構造に閉じ込めてしまうのである。
 
== シグナル伝達の概要 ==
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 細胞膜上の受容体は、イオンチャネル連結型,Gタンパク結合型,酵素連結型の3種類に大別される。これらの違いは、細胞外シグナル分子がそれに結合したときに生じる細胞内シグナルにある。
 
# [[w:イオンチャネル|イオンチャネル]]連結型では膜を横切ってイオンの流れが起こって膜の内外での電位差に変化が生じ、電流を生じる。
# [[w:Gタンパク質共役受容体|Gタンパク結合型]]ではある種の膜結合タンパク(G([[w:Gタンパク質|Gタンパク]])を活性化してそのサブユニットを放出し、それを通じて細胞膜のなかの標的となる酵素やイオンチャネルに作用する。
# 酵素連結型はシグナル分子との結合で活性化し、酵素として働いたり、細胞内酵素と共同作業をしたりする。
 
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==Gタンパクおよび酵素連結型受容体==
スイッチタンパクのもう一つのグループが、Gタンパクを含む'''[[w:Gタンパク質|GTP結合タンパク]]'''である。これは通常、GTP結合(活性)型とGDP(不活性)結合型という2つの形態の間で相互転換を行い、種々の細胞応答において情報の伝達・増幅因子として機能しているが、特に'''Gタンパク連結型受容体'''を介したシグナル伝達において枢要な役割を担う。前述のようにGタンパクは膜結合タンパクであるが、これは'''α,β,γの3つのサブユニット'''によって構成''されていて、このうちのαおよびγサブユニットが膜につながっている。
 
'''[[w:Gタンパク質共役受容体|Gタンパク連結型受容体 (GPCR)]]'''には様々なシグナル分子が結合するにも関わらず、その構造はほぼ同様で、それらを'''7回膜貫通受容体タンパク (7TM)'''と称するのはまさにその構造に由来する。
 
前述のとおり不活性状態ではGタンパクはGDPと結合しているのだが、これは厳密にはαサブユニットがGDPと結合しているということになる。細胞外シグナル分子は受容体に結合することでこれに構造変化を起こさせ、この結果αユニットはGDPを離してGTPと結合する。すると活性化したαユニットはβγ複合体から離れ、それぞれ自由に細胞膜上を機動できるようになる。しかし一方で、αユニットには'''[[w:GTPアーゼ|GTPアーゼ]]活性'''があり、最終的に結合しているGTPを加水分解してGDPに戻す。そうするとαユニットは不活性化されて再びβγ複合体と結合する。通常、αユニットが離れてから再結合するまでの時間は数秒に過ぎない。
 
Gタンパクのサブユニットの標的タンパクは、イオンチャネルか膜結合酵素のいずれかである。標的の種類によって影響を与えるGタンパクの種類は異なり、それぞれ別種の細胞表面受容体を通じて活性化する。Gタンパクによるイオンチャネル調節においては、活性化するときにはGαs,Gα<sub>s</sub>,不活性化するときにはGαiGα<sub>i</sub>が使われる。
 
一方、相手が膜結合酵素の場合はさらに複雑で、細胞内でさらに別のシグナル分子が作られることになる。最も良く標的となるのはイノシトール3リン酸:IP3およびジアシルグリセロール:DAGを生成するホスホリパーゼC 、そしてcAMPを生成するアデニル酸環化酵素であるが、これらはそれぞれ別のGタンパクで活性化される。このように、細胞外シグナル分子が細胞膜上の受容体と結合することにより細胞内で新たに生成される別種の細胞内シグナル分子のことを'''二次メッセンジャー'''と呼び、一次シグナルである細胞外シグナルと区別する。
上記の二次メッセンジャーのうち、最も多用される'''cAMP'''は水溶性であるからシグナルを細胞全体に伝達することができる。これは'''cAMP依存タンパクキナーゼ:PKA'''を活性化することで、標的タンパクのリン酸化などの影響を行使する。一方の'''IP3'''および'''DAG'''は、細胞膜を構成するリン脂質の一種(イノシトールリン脂質)がホスホリパーゼCにより分解されることで生成される。IP3は細胞質中に放出され、小胞体のCa2Ca<sup>2+</sup>チャネルを開放してCa2Ca<sup>2+</sup>を細胞質に流出させ、その濃度を上昇させる。DAGは細胞膜に埋め込まれたままで残り、Ca2+とともに働いて'''タンパクキナーゼC:PKC'''を活性化させる。PKCの機能はPKAと同様である。
 
細胞質中のCa2Ca<sup>2+</sup>の影響はだいたいが間接的で、'''Ca2Ca<sup>2+</sup>結合タンパク'''と総称される様々なタンパク質との相互作用によって伝えられる。Ca2Ca<sup>2+</sup>結合タンパクのうち最も広く存在するのが'''カルモジュリン'''で、これはCa2Ca<sup>2+</sup>と結合することで、別の酵素の活性を調節する。カルモジュリンにより活性化される酵素の代表例が'''Ca2Ca<sup>2+</sup>カルモジュリン依存タンパクキナーゼ:CaMキナーゼ'''で、これはカルモジュリンによって活性化されると特定のタンパク質をリン酸化する。
 
Gタンパク連結型受容体が仲介する反応のなかで最も速いのが、目における明暗順応である。このとき、例えば光受容細胞が強く応答するとシグナル増幅に関わる酵素を阻害する細胞内シグナル(Ca2(Ca<sup>2+</sup>濃度の変化)が生じ、これによって光受容細胞は飽和せずに光の強弱を感知できるのである。このような順応は化学シグナルに応答する伝達系でも起きている。
 
ここからはGタンパク連結型受容体に並んで重要な細胞表面受容体である'''酵素連結型受容体'''について述べる。これはGタンパク連結型受容体と同様に膜貫通タンパクだが、その細胞質側ドメインは酵素であるか、酵素と複合体を形成することになる。これらのなかで最も多いのは、細胞質側ドメインが特定のタンパク質のチロシン鎖をリン酸化するチロシンキナーゼとして働くもので、このような受容体を'''受容体チロシンキナーゼ:RTK'''と呼ぶ。