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 明治期に近代化という大仕事を背負わされた日本では、近代法をいち早く制定しなければならなかった。家族制度・市民の取引を規律するのが目的である以上、各地の慣習を調べて、日本の現状に密着し、かつ列強諸国からも近代法と認められるようなものを作り上げなければならなかったのであるが、慣習調査はお粗末なものであった。
 
 当初、[[w:御雇外国人|御雇外国人]]として招聘されていた[[w:ギュスターヴ・エミール・ボアソナード|ボアソナード]]がフランス民法典の強い影響の下に民法典の草案を起草し、[[w:公布|公布]]にまで至ったけれども、日本の「家制度」と馴染まなかったため「民法出でて忠孝滅ぶ」という有名な「民法論争」に発展、制定されたものの施行されることなく終わった。これを一般に「旧民法」と呼ぶ。
 
 これに対し、現在の民法典は立憲君主制をとるプロイセンの民法に範をとったもので、共和制の基に制定されたフランス民法と比べると当時の日本には馴染みやすいものであった。このため、多くの民法学者にはドイツ民法の法理を研究していたが、近年、旧民法にも多大な影響を受けているとして、見直す動きがある。
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*[[w:民法|民法(Wikipedia)]]
*[[s:民法|民法]]
*大久保泰甫「ボワソナアド―日本近代法の父」(岩波新書)ISBN 978-4004200338
 
[[category:法学|みんほう]]
[[category:民法|*]]
 
*大久保泰甫「ボワソナアド―日本近代法の父」(岩波新書)ISBN 978-4004200338
[[en:Japanese Law and Government/Civil Law]]