「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分

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そして日本は1941年12月8日にハワイ真珠湾を奇襲し太平洋戦争(大東亜戦争)<ref>戦後「大東亜戦争」の使用が禁止されたため「太平洋戦争」と言う呼称が一般的になった。</ref>が始まる。序盤は勝利するもミッドウェー海戦以降負け戦となり敗戦。その後、アメリカを中心としたGHQ(連合国軍総司令部)による「民主化」政策などで国政の仕組みが大幅に変わり、特需による戦後の復興、高度経済成長を経て、世界有数の経済大国に発展した。
 
==昭和前期==
1925年に[[大正天皇]]の崩御をうけて[[昭和]]はスタートした。昭和の前期は軍部の暴走に歯止めがかからず、また長引く経済不況に悩まされ各地では労働争議がおこり、社会主義運動に共鳴する動きなどもあった。当時の軍部は社会不安から国民にも支持される形で満州事変、日中戦争を戦う。以前から日本を敵視していた米英からは反発を買った。
1941年に太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発するが、当初は勝ち戦にみえたが翌年1942年のミッドウェー海戦で形勢が逆転。国民は連日の空爆と物資の不足に悩まされる。
1945年、東京・大阪等の主要都市が空爆で焼け野原となり、沖縄の失陥、広島・長崎の原子爆弾投下で完全に敗戦色濃厚となったが軍は特攻を試みたり本土決戦を想定したがあまり上手くはいかなかった。敗戦時は国民はそのほとんどが苦しい生活であった。
 
==昭和後期==
1945年、ポツダム宣言を受諾し御前会議での昭和天皇の英断を経て[[玉音放送]]により[[大東亜戦争]]は終結した。
その後はGHQ占領軍の統治がはじまり東京裁判によって戦争犯罪人の処罰が行われた。天皇が訴追対象外となったのはマッカーサーの意図もあろうが、戦争開戦時からアメリカでは天皇は明治から一部の国粋主義者の御輿にのり戦時は軍部の「あやつり人形」と考えられており、裁判で裁く対象かどうかイギリスやソ連と揉めたようだが訴追の対象ではないとされた(マッカーサーは天皇制をなくしたら日本中は内戦・ゲリラの跳梁跋扈の状態になる、それなら皇室が率先して民主化のシンボルとなればいいという考えをもっていた=「マッカーサー回顧録」より)。
その後は新憲法の制定で軽武装・経済重視の路線をとり、また日米同盟を組むことで高度経済成長につとめた。
 
==主な出来事==
 
 
*1926年(昭和元) - 大正天皇崩御、摂政宮裕仁親王即位
*1928年(昭和3) - [[京都御所]]にて[[即位]]の礼を挙行