「日本史/現代/戦後」の版間の差分

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M 手のつけようがない。 1985以降の出来事の年代構成や因果関係が錯綜していて整理を要する。
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*男女平等の選挙権と被選挙権。
*総理大臣が最高権力者となる。
*天皇は権力(主権や統帥権)を奪われ、主権者たる国民によって「象徴」とさせられている。しかし、天皇に関するタブーである「菊タブー」は終わっていない
 
==平和国家憲法と日米安保条約==
[[w:核兵器|原爆]]投下に象徴されるように、第二次世界大戦で地獄を味わった歴史から、「戦争をしない」ことが憲法に明記された。しかし、ホワイトハウスの差し金で自衛隊が作られ、自衛隊海外派兵が合憲か違憲かの議論が収まっていない。
 
又、2度(1952年版と1960年版)の[[w:日米安保条約|日米安保条約]]によって、日本国内には[[w:在日米軍|アメリカ軍基地]]が多数置かれる事態になった。
 
==経済==
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==細かい時代区分==
*[[日本史 連合国占領期|GHQ占領期]](1945-1952)
*:1945年8月14日、大日本帝国がポツダム宣言によって主権受諾し失い解体されから<!--沖縄と小笠原諸島ははアメリカ合衆国に、台湾は中華民国に、朝鮮半島はアメリカ合衆国とソビエト連邦に、樺太はソビエト連邦に、それぞれ編入された。-->、から1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が締結されて日本が主権を回復す国家になるまでの時期。「戦後混乱期」と呼ばれることもある
*高度経済成長期(1952-1973)
*:日本の主権回復、および朝鮮戦争の特需をきっかけに日本経済の[[W:GDP|GDP]](当時は[[W:GNP|GNP]]が主流)成長率が10%を超えていた時期。これによって世界第二位の経済大国となる。1973年の第一次オイルショックによって高度経済成長は終わる。
*安定成長期(1973-1986)
*:二度のオイルショックを経て日本経済は安定成長の時代に入る。一方でアメリカとの貿易摩擦問題からジャパン・バッシングへの発展、ドルの完全変動相場制への移行と[[W:円高不況|円高不況]]、ソ連のペレストロイカなど国際情勢の変化が日本にも大きな影響を与えた。
*バブル期(1986-19911993)
*:土地価格や株価の上昇に伴い、バブル景気と後に呼ばれる好景気に突入し、日本経済は大きく伸びたかに見えた。この時期、諸外国からは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「日本を見習え」と呼ばれていた。しかし、この好景気は[[W:実体経済|実体経済]]に裏打ちされたものではない投機の過熱によるものであり、1990年ごろからバブル景気は終焉を迎える。政治的には冷戦1989年終結、[[東欧諸国の民主化革命]]に続いて東側諸国のリーダー国・ソ連が崩壊した。また、1991年には湾岸戦争が勃発し起こり年末には共産主義陣営の超大国だっな国際政治の枠組みソビエト連邦作られつつある時代でもあっ崩壊した。
*[[日本史 平成時代|平成時代冷戦後]](バブル期以降1993-現在)
*:バブル経済が崩壊する直前の1989年、昭和天皇が死去した。こうして新しい天皇が即位し、年号は平成とな東欧民主化革命によた。て[[冷戦]]は終結したが、国際紛争はこれまでの米ソの代理戦争から民族紛争へと変化した。また、冷戦終結は国際社会における日本の位置づけも変化し、1991年の湾岸戦争を皮切りに、1992年には自衛隊が初の海外派遣を行った。1993年には、1955年以来の与党だった自民党が、初めて野党になった。バブル経済の終焉と国際社会の激変の中で日本国内に閉塞感が漂い始める中、1995年には阪神・淡路大震災、オウム真理教(当時)による地下鉄サリン事件といった事件が立て続けに勃発し、日本社会に大きな衝撃を与えた。
 
[[category:日本の歴史|せんこ]]