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多文化主義の加筆
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[[ファイル:IsaiahBerlin.jpg|thumb|right|150px|アイザイア・バーリン(1909年-1997年)はイギリスの哲学者。ロシア統治下のラトビアで生まれ、戦争や革命を避けてイギリスへ移る。オックスフォード大学を卒業し、第二次世界大戦では外務省の職員として勤務した。戦後に啓蒙主義の思想史の研究をはじめ政治哲学の研究でも業績を残した。著作には『自由論』、『ハリねずみと狐』など。]]
文化的または政治的に統一された国民の観念は1960年代以後に台頭した多文化主義の思想と対決するようになる。多文化主義の概念には一つの社会の中で複数の異なる文化的な集団が並存することで文化的な多様性がもたらされていることを記述する意味合いがある。これは人種的、民族的、言語的な多様性をそのまま保障されている多元的な社会に見出される特徴である。さらに多文化主義を規範的な観点から見れば、それは文化的な多様性を担う社会内部の諸々の集団に固有の信仰や言語の自由を尊重する思想的な立場である。ナショナリズムをめぐる政治動向は近代における国民国家としての同一性を問題としてきたが、多文化主義は同一性の差異と文化の多元性において許容されるべき範囲を問題とする。このような立場が出現してきた背景には人種主義への反省や移民の増大に伴う文化摩擦が問題となってきたためである。アメリカでは建国された当初から多様な人種や民族から形成された多民族国家であったが、多文化主義が政治問題として明確に争われるようになるのは1960年代に黒人に対する人種差別への批判が政治運動として成立してからであった。同じようにオーストラリアでも多文化主義が政府によって自覚的に政策の理念と位置づけられるようになったのは、アジアからの移民が増加していた1970年代に入ってからである。イギリスにおいて多文化主義は国内におけるアフリカ系やアジア系の文化的共同体と白人の文化的な軋轢を克服することを推進する立場となっている。このような多文化主義の古典的な説明にミルの考察を挙げることができる。ミルは社会が多元的であることが個人と社会にとって重要であると主張しており、それは道徳的、文化的、宗教的な信念を選択する余地があることは本質的に個人の自由を保障するためであり、同時に多様な価値観は民主的な議論の健全な活性化をもたらすことで社会を発展させることができるためである。またバーリンは多文化主義が価値の多元主義として理解できることを示唆することで多文化主義の理論を基礎付けた。彼は人間にとって普遍的に良い生活の観念は実在せず、数多くの観念の競争が実在すると考えた。つまり、個人について考える限り、人生の価値や目標をめぐる競合がなけれならない。また社会についても、政治的な空間を人々が共有できるように道徳的、文化的な信念を許容しなければならない。
 
== 国内政治 ==
政治学においてしばしば国民国家が統一体として把握されているが、微視的な観点から見れば内側にさまざまな諸勢力を内包していることが分かる。国内政治の水準から観察すると、国家と国民は同一ではなく、また国民も地域ごとに相違があり、また社会的背景も千差万別である。ここには地方自治に関する領域と社会集団に関する領域を含むことができる。地方自治では中央集権や地方分権という中央と地方の関係が中心的な焦点である。また近代社会の内側に存在する人種や階級などの多様な差異や利害がさまざまな社会集団の存立を促し、国内政治においてしばしば影響力を発揮することが政治学において重要である。ここでは地方自治と社会集団がもたらす政治的問題について概説する。
 
===地方自治===
====連邦制度====
[[ファイル:Portrait of Pierre Joseph Proudhon 1865.jpg|thumb|right|150px|ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809年-1865年)はフランスの社会思想家。酒造職人の家庭に生まれ、生活苦から学業もままならず、印刷所に勤務しつつ著述活動を行い、二月革命では議員となっているが後に投獄された。国家に対して批判的な古典的な無政府主義の思想家として知られ、後世の社会主義にも影響を与えた。著作には『経済的矛盾の体系』、『連合主義原理』など。]]
 
====集権制度====
[[ファイル:Alexander Hamilton portrait by John Trumbull 1806.jpg|thumb|right|150px|アレクサンダー・ハミルトン(1755年-1804年)アメリカの政治家である。アメリカ独立戦争に従軍した後に法学を学び、外交や国政に携わっている。民主主義への警戒から中央政府の役割を重視する立場をとっており、アメリカにおける伝統的な保守主義者として位置づけられている。『ザ・フェデラリスト』の主要執筆者であり、他には『製造業に関する報告書』など。]]
 
===社会集団===
====民族集団====
[[ファイル:Marcus Garvey 1924-08-05.jpg|thumb|right|150px|マーカス・ガーベイ(年-年)]]
====社会階級====
[[ファイル:Gramsci.png|thumb|right|150px|アントニオ・グラムシ(1891年-1937年)はイタリアの政治思想家、革命運動家。トリノ大学に入学するが退学して労働運動に加わり、イタリア共産党の創設に携わった。議員に選出されるが、ファシスト政権と対立して投獄され、獄中生活で多くの著述を行った。新マルクス主義を理論的な発展させただけでなく、覇権の概念を提唱したことで知られる。著作に『獄中ノート』がある。]]
 
====ジェンダー====
[[ファイル:Marywollstonecraft.jpg|thumb|right|150px|メアリ・ウルストンクラフト(年-年)]]
 
== 国際政治 ==
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国際政治に対する立場として現実主義は長い伝統を持っている。遡ればトゥキディデスのペロポネソス戦争の叙述や孫子の戦略思想にも現実主義の思想が認められ、近代的な現実主義の思想を展開した人物にはマキアヴェッリやホッブズがいる。しかし現代の国際政治における現実主義の立場が明確化されたのは世界大戦の時期であった。現実主義は人間が自己保身のために行動する側面を重視し、国際政治が国益の追求とそのために権力政治の方法がなされていると認識する立場を採用する。したがって、現実主義の前提は国家が国際社会における最も重要な行為主体であるということである。現実主義者のカーやモーゲンソーは第一次世界大戦と第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際政治の経験を踏まえながら、理想主義の限界を指摘しながら世界秩序を安定化させるために勢力均衡(balance of power)の理論を提唱した。これは膨張や侵略を進める傾向にある国家に対して別の国家が国力を増大または同盟によって国力の統合を図ることによって、相互に侵略的行為を抑制する国際関係の形態を言う。また世界では資源や権力、資財が平等に分配されているわけではないために、それら国力の要素が集中している大国(great power)を中心としながら勢力均衡の国際関係が展開することも論じられた。その必然的な結果として国際秩序は大国が従属国、植民地、または経済ブロックなどを含む勢力圏(spheres of influence)によって構成されるようになると考えた。実際に冷戦期においてアメリカを中心とする西側諸国とソビエトを中心とする東側諸国に世界が分断され、またアメリカはソビエトの進出を阻止するための封じ込め政策を展開することになる。現実主義の理論は1980年代に入ってから再検討され、新現実主義と呼ばれる理論を生み出すことになる。新現実主義者のウォルツは国家を中心とした勢力均衡の分析が中心であった従来の理論に対して国際関係の構造を中心とした勢力均衡の理論を提唱した。国際システムの構造において勢力がどのように分布しているかによって、国際政治の動向を分析することが可能となった。
 
==== 多元マルクス主義 ====
[[ファイル:Immanuel Wallerstein.2008.jpg|thumb|right|150px|イマヌエル・ウォーラーステイン(1930年生)はアメリカの社会学者。]]
 
====多元主義====
[[ファイル:Naomi_Klein_portrait.jpg|thumb|right|150px|ナオミ・クライン(1970年生)はカナダ出身のジャーナリスト、社会活動家。トロント大学で学んだ後に編集者の仕事と平行して社会活動を行う。グローバリゼーションや企業による支配に対して批判的な立場から、現代の資本主義経済の評論を行うだけでなく、社会活動家としてアジアやラテンアメリカを歴訪する。著作には『ブランドなんか、いらない』、『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』などがある。]]
 
=== 世界秩序の理論 ===
==== 近代国際システム ====
[[ファイル:Jean Bodin.jpg|thumb|right|150px|ジャン・ボダン(1530年-1596年)とはフランスの法学者、経済学者。]]
 
==== グローバリゼーション ====
[[ファイル:Immanuel Wallerstein.2008.jpg|thumb|right|150px|イマヌエル・ウォーラーステイン(1930年生)はアメリカの社会学者。]]
 
==== リージョナリゼーション ====
[[ファイル:monnet1.jpg|thumb|right|150px|ジャン・モネット(1888年-1979年)はフランスの経済学者であり行政官。]]
 
== 国内政治 ==
政治学においてしばしば国民国家が統一体として把握されているが、微視的な観点から見れば内側にさまざまな諸勢力を内包していることが分かる。国内政治の水準から観察すると、国家と国民は同一ではなく、また国民も地域ごとに相違があり、また社会的背景も千差万別である。ここには地方自治に関する領域と社会集団に関する領域を含むことができる。地方自治では中央集権や地方分権という中央と地方の関係が中心的な焦点である。また近代社会の内側に存在する人種や階級などの多様な差異や利害がさまざまな社会集団の存立を促し、国内政治においてしばしば影響力を発揮することが政治学において重要である。ここでは地方自治と社会集団がもたらす政治的問題について概説する。
 
===地方自治===
====連邦制度====
[[ファイル:Portrait of Pierre Joseph Proudhon 1865.jpg|thumb|right|150px|ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809年-1865年)はフランスの社会思想家。酒造職人の家庭に生まれ、生活苦から学業もままならず、印刷所に勤務しつつ著述活動を行い、二月革命では議員となっているが後に投獄された。国家に対して批判的な古典的な無政府主義の思想家として知られ、後世の社会主義にも影響を与えた。著作には『経済的矛盾の体系』、『連合主義原理』など。]]
 
====集権制度====
[[ファイル:Alexander Hamilton portrait by John Trumbull 1806.jpg|thumb|right|150px|アレクサンダー・ハミルトン(1755年-1804年)アメリカの政治家である。アメリカ独立戦争に従軍した後に法学を学び、外交や国政に携わっている。民主主義への警戒から中央政府の役割を重視する立場をとっており、アメリカにおける伝統的な保守主義者として位置づけられている。『ザ・フェデラリスト』の主要執筆者であり、他には『製造業に関する報告書』など。]]
 
===社会集団===
====民族集団====
[[ファイル:Marcus Garvey 1924-08-05.jpg|thumb|right|150px|マーカス・ガーベイ(年-年)]]
====社会階級====
[[ファイル:Gramsci.png|thumb|right|150px|アントニオ・グラムシ(1891年-1937年)はイタリアの政治思想家、革命運動家。トリノ大学に入学するが退学して労働運動に加わり、イタリア共産党の創設に携わった。議員に選出されるが、ファシスト政権と対立して投獄され、獄中生活で多くの著述を行った。新マルクス主義を理論的な発展させただけでなく、覇権の概念を提唱したことで知られる。著作に『獄中ノート』がある。]]
====宗教団体====
====ジェンダー====
[[ファイル:Marywollstonecraft.jpg|thumb|right|150px|メアリ・ウルストンクラフト(年-年)]]
 
== 政治経済学 ==
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====相似モデル====
 
 
=== 選挙 ===
====選挙機能====
 
====選挙制度====
 
 
=== 投票行動 ===
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===憲法===
====憲法の分類====
====憲法の機能====
 
===法律===
====法の支配====
====人権====
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====政治リーダーシップの実践====
 
==官僚==
官僚(bureaucracies)は政治学において国家の行政機構を示し、さらに政府の行政活動を実際に執行する組織であると捉えられている。社会学の研究によれば近代社会において官僚は政府組織だけでなく企業体や労働組合、政党の形態としても現れるものである。特に政府組織の官僚は政策問題に対して権限や影響力を保有しているために政治学では行為主体として重要視されている。現代の民主主義の政治体制においても官僚支配のモデルは無関係ではない。ミルは自らの議論の中で代議制の政治体制を構築する際に官僚機甲を構築したが、官僚は単純に政府が打ち出した方針に従って活動する行政機構ではない。公的機関として官僚は見なされており、経済動向などの特定の政策領域において政治家とは異なる行動をとりうる主体として把握される。官僚についての研究には官僚機構がどのような制度を持っているか、さらに制度的特性に基づいてどのような活動をとりうるかの二つの問題があり、ここではそれらについて概説する。
 
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[[ファイル:|thumb|right|150px|(年-年)]]
 
====官僚組織====
[[ファイル:James Burnham2.jpg|thumb|right|150px|ジェームズ・バーナム(年-年)]]
 
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[[ファイル:|thumb|right|150px|(年-年)]]
 
==政軍関係武装組織==
===政軍関係===
政軍関係(civil-military relations)とは一般に文民社会と軍事組織の関係であり、狭義には社会の利害を反映した国家と軍隊の指導層である将校団の関係と言うことができる。軍事組織は国家安全保障に対して軍事的機能を提供するものである。しかしながら、その文民社会で支配的な平和主義や軍国主義などの価値観が軍事的機能の準備や使用を妨げる場合がある。政軍関係論ではこのような社会の政治的要請と軍隊の機能的要請の権力的またはイデオロギー的な関係に注目し、戦争における政治的意思決定や軍人の政治的役割、文民統制の在り方、軍隊と社会の関係などについて検討する。
 
====軍事組織====
[[ファイル:Clausewitz.jpg|thumb|right|150px|カール・フォン・クラウゼヴィッツ(年-年)]]
====軍事的役割====
 
====文民統制====
 
===治安行軍関係のモデル===
====警察組織====
====プロフェッショナリズム====
[[ファイル:Clausewitz.jpg|thumb|right|150px|カール・フォン・クラウゼヴィッツ(年-年)]]
 
====プリートリアニズム警察国家====
[[ファイル:|thumb|right|150px|(年-年)]]
 
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====経済政策====
====社会政策====
====文化政策====
 
 
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