「高等学校古文/漢詩/兵車行」の版間の差分

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当時は唐の絶頂期で皇帝は玄宗だった。彼は積極的な外征政策をとったため、唐の領土は最大となり、中央アジアまで領土を拡大させた。しかし、それは徴兵される側である農民たちにとっては華やかなものではなく、いつまでたっても終わらない兵役と重い税に苦しめられるものでしかなかった。
 
ちなみにアッバース朝と中央アジアでの覇権をめぐって戦った[[w:タラス河畔の戦い|タラス河畔の戦い]]はこの作品ができる一年前の出来事であり、唐の国力を大きく減退させた[[w:安史の乱|安史の乱]]は杜甫がこの作品を作った三年後に起きる。

=== 鑑賞 ===
戦争の苦しみを歌った作品は少なくないが、本作品はその中でも特にインパクトの強いものである。その印象強さはこの詩が当時の社会情勢を生々しく描いていることによるだろう。しかし、それでいて、感情をむき出しにするのではなく、対話の形式をとったり、「君不聞」「君不見」と書くことで読者へ呼びかけたりすることで、話を客観化させようとしている。それによって、この詩にリアリティと普遍性を持たせているのが特徴である。
 
特に第四・第五解に注目しよう。古来から中国では男子の誕生のほうが喜ばれ、尊ばれたのだが、その常識とは逆に女子の誕生のほうが戦争に行かなくてすむ分まだマシだというのは皮肉な表現であるとともに当時の政治を痛烈に批判したものである。または、常識が通用しない世の中になったことへの批判ともとれる。そして第五解はココノール湖のほとりに散らばる白骨、亡霊たちがむせび泣くという鬼気迫る情景が描かれる。戦争の悲惨さを訴えるものとしても、純粋に詩としても見事なまとめになっている。
 
なお、本作品は杜甫が40歳のときの作品である。このころから彼は当時の社会の様子を描いた作品を作りはじめ、後に「三吏三別」とよばれる社会批判の作品が作られることとなる。