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「法学入門」とは、これから、「法学」又は「法律学」を学ぶもの制定、「『につ』とは何か」「『法律』とは何か」を示し、これから、何を(学問(「学習」ではな」)の目的)、どのような観点で学ぶかを提示紹介することである。法と法律は、人の社会生活のあらゆる局面を、さまざまな目的から対象化して一定で取り扱うも方向へと新たな社会化を試みであ、さらに、それは架空の事柄でく、現実に起こっていさまざまな物事への政策となってのでらわれ。したって、政策)、他方と法律を学ぶ観点は、現実の法的な事件がどように取り扱われたかを知り、かつ、その当否を価値判断およびし、の当否の決定といれはどかたちであら取り扱われる(法解釈)。法べきであるか学ぶことは法実務に携わる者として、具体的な事件への対処とその展望を社会向け発して説得できるか持つ自ら考えることが要求されできようにお、法を学ぶとは、暗記ではない理解と説かれることがあといえる。これは、「法を知る」現実の事件の広範性「法多様性を考慮すいう異なった学習態度、普通有機的連携者には、ここと観点を定立し、後輩であるが、このふたつの習態度は明確区別され場合少ないことは、非常留意すべき困難である。そして「法を知る」段階ではかつ法典など条文規定のあらま学問に対を掴み、続く「法を考える」段階では、判例を重要て不遜その実践態度して辿り、更に、社会背景と時代性を観察した上で、自己の考すら言を作り上げていくことに法の理解はある。
{{Wikiversity|法学入門|Topic:法学入門|トピック}}
法学入門の著作は、近時、図解やイラストを用いた教育的効果の高いものもあるが、ここでは、先学の伝統的著名な著作を紹介するに止め、法学入門に替えたい
 
===法学一般===
====単行本====
*『法学の基礎』([[w:団藤重光|団藤重光]] 有斐閣)ISBN 978-4641027213
 
*:著者は、東大名誉教授最高裁判事を歴任しも務め日本刑法学の最高権威の一人。文化勲章受章者。本書は、筑摩書房から「現代法学全集」の第1巻として1973年に刊行された名著「法学入門」の改訂版であるが、法の由来や意義について、法哲学観点から、諸外国の法制度の比較をしながら詳細に説かれている
*末弘嚴太郎『末弘著作集Ⅰ・法学入門〔第2版〕』(日本評論社,1980)
*:著者は、日本の法解釈学にケーススタディを導入し、現代の法学方法論の基礎を築いた民法学者。本書は、対話形式で義務の観点から法と法意識についてやさしく解説している。
 
*中川善之助『法学(補訂版)』(日本評論社,1985)
*:著者は、我妻栄とともに戦後の身分法(家族法)の改正を主導した民法学者。本書は、社会における法の実態を背景に、法の由来や歴史、また、憲法・民法・刑法などを当事者主体の法関係に整理して分かりやすく解説している。
 
*『現代法学入門』([[w:伊藤正己|伊藤正己]]・[[w:加藤一郎 (法学者)|加藤一郎]] 有斐閣)ISBN 978-4641027213
*:伊藤正己は、東大名誉教授最高裁判事を歴任しも務めた英米法および憲法学者。の権威で文化勲章受章者。加藤一郎は、東大名誉教授で民法学者。本書は、憲法・行政法・民法・刑法など基本的実体法について、通説的観点から分かりやすく概説されている権威
 
*『法学入門』([[w:三ヶ月章|三ヶ月章]] 弘文堂)ISBN)ISBN 978-4335300295
*:著者は、東大教授,法務大臣を歴任した民事訴訟法学者。文化勲章受章者。本書は、六法等基本的な法について、主に手続的観点と実効性の検討から分析的に説かれている。
 
*『法学の基礎』([[w:団藤重光|団藤重光]] 有斐閣)ISBN 978-4641027213
*:著者は、東大名誉教授で法務大臣も務めた民事訴訟法学の最高権威の一人。文化勲章受章者。
*:著者は、東大教授,最高裁判事を歴任した刑法学者。文化勲章受章者。本書は、筑摩書房・現代法学全集第1巻として1973年に刊行された「法学入門」の改訂版であるが、法の由来や意義について、法哲学観点から、諸外国の法制度の比較をしながら詳細に説かれている。
 
*『実定法学入門』([[w:田中英夫 (法学者)|田中英夫]] 東京大学出版会)ISBN 978-4130320542
*:著者は、東大名誉教授で英米法学者の権威(故人)。法哲学の演繹観念で色彩を極力減らし、ケーススタディからを多く取り入れるなど法解釈の実践力を養う教育配慮に富んだものであり観点が強い、法曹志望者など、法解釈の専門家たらんとする者向け著作である
 
====新書など====
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===法各分野===
====憲法====
憲法は、国家の基本法と言われ、また、規定対象(名宛人)を政治主体に向けた法と言われるが、前文のような未来へ向かっての法理想を謳う部分や国民の勤労の義務などの規定を持つ、規定─対象について複合性がある。つまり、統治と近代的意味における人権の認識(認定)的規定と改正条項のほかに非分類的なさまざまな規定の置かれるものである。このため、憲法については、各条項についての上下関係(法の段階)が観念され、この観念について見解の相違が生じている。
=====単行本=====
*宮沢俊義『憲法入門(新版補訂)』(勁草書房,1993)
*:著者は、東大名誉教授の憲法学者。本書は、日本国憲法の理念を普遍性へと高めながら、思想としての憲法論を説いている。
*清宮四郎『憲法要論』(法文社,1961)
*:著者は、東北大学名誉教授の憲法学者。本書は、実定法としての現実の憲法動態を冷徹に観察しつつ、憲法学を説いている。
====民法====
民法は、ローマ法以来の伝統を有する法解釈学の王道と言われており、その思考法は私法一般のみならず、法解釈学全般の範とも考えられなっている。ただし、価値観や制度の多様化する現代社会においては、この民法的解釈法全で能薬のように用いるの、必ずしも適当でい場合が多い。とりわけこの事実も権利主体これら概念入門書をきちんと読むと理解することが比較衡量利益論など)の法的因子の捉え方は逆に実体的アプローチと手続的アプローチあたかも万能薬あるなりように書はあり(例えば、主張と認定の帰結の違いなど)、同じく民法的解釈と言っある内容に信用ができりの違ということでもある
=====単行本=====
*『民法大意 上・中・下案内 1 私法の道しるべ』([[w:我妻栄|我妻栄]] 岩波勁草店)房)ISBN 978-4326498277
*:著者は、東大名誉教授で日本民法学の最高権威ともいえる学者文化勲章受章者(故人)。法学体系性と社会的妥当性のバランスに優れた著作精緻な理論構成により日本民法学を完成させたと評され、その影響は法学全般に及んでいる。
*中川善之助『民法大要』(全三巻)(勁草書房,1981・1992)
=====新書など=====
*『民法のすすめ』([[w:星野英一|星野英一]] 岩波書店・岩波新書)ISBN 978-4004305361
*:著者は、東大名誉教授で、我妻に教えを受けた最後の弟子。正統的な我妻法学を継承すると同時に、「結果の妥当性」と言う観点から、大胆な批判修正を行い、現在の民法学の方向性に大きな影響を与えた学者である。
 
=====単行本=商法====
====刑法====
刑法は、法と国家の存立にとって実定的に絶対性のある法であり、一般には、犯罪と刑罰に関する法と言われ、また、最終的な法の意味合いで二次的法と言われる。そのため、刑法の在り方(総論)や各条項の解釈(各論)について、社会の変遷とともに、その考え方も変遷し、学理的には、いわゆる刑法学派の争い(古典学派・近代学派から結果無価値・行為無価値(目的的行為論を含む))が生じ、現在に至っている。
=====単行本=====
*團藤重光『刑法<改訂版>』(弘文堂,1967)
*:著者は、東大教授,最高裁判事を歴任した刑事法学者。本書は、法確信を社会倫理に求める一方で、その逸脱の無いよう、犯罪の成立要件を明確かつ厳格にして(定型説)正しい法運用を志向し刑法を説いている。
*平野龍一『刑法概説』(東京大学出版会,1977)
*:著者は、東大名誉教授の刑事法学者。本書は、法的確実性を法運用状況に求める一方で、犯罪の実社会への影響度から犯罪の実質を考察し、刑事政策的展望を視野に刑法を説いている。
====商法====
商法は、一般には、企業組織ないし企業活動の法と言われる。他の法領域と比べ、(商)習慣ないし慣行の法源への影響は強く、法改正の頻度の高さの要因ともなっている。法律行為の権限とその効果に委任類似の団体的性質を認めるか否かで見解の違いがあるため、法人認識に関しての実在性、また、権利性については、全体として商法領域に在るとするか、民法的性質に還元されるべきものとするかの見解の違いがみられる。(商法領域は改正が頻繁であり、特に会社法は大幅に改正されたため、以下とは別に、最新の刊行図書または改正の沿革を参照されたい)
=====単行本=====
*石井照久『新版 概説商法』(勁草書房,1975)
*:著者は東大名誉教授の商法学・労働法学者。
*田中誠二『新版 商法(十一全訂版)』(千倉書房,2000)
*:著者は一橋大名誉教授の商法学者。
====行政法====
行政法は、立法および司法以外の国家作用と組織の法と言われ、その作用についての観点の違いから積極的あるいは消極的行政観が生じている。行政法を憲法や刑法などひとつの法典を持つ法と同次元で定義すれば、すなわち、国家の三作用の行政概念と法領域としての行政法概念を区別すれば、行政法は、公的社会作用全般と組織に関する法であるが、社会という概念が抽象性を排除できないことと同様、公的社会作用は抽象性を含んだものであるため、行政法は多義的かつ多目的となり、他の法にある方向性を与える固有の法原理を排除する。これは、行政法の公平性の側面であるが、また、自由行政の根拠でもある。
=====単行本=====
*田中二郎『要説行政法<新版>』(弘文堂,1972)
*:著者は、東大教授,最高裁判事を歴任した公法学者。
*柳瀬良幹『行政法教科書』(有斐閣,1958)
*:著者は、東北大名誉教授の公法学者。
====民事訴訟法====
民事訴訟法は、紛争解決を通して私法秩序を維持する法と言われるが、解決と言えるべき内容について見解の違いがある。すなわち、当事者間の法関係の回復度合いの実質的認識の違いから、訴訟物を現手続きのみにかかるものとするか(新訴訟物論)、現手続きに部分的にのみ認識される他の手続き可能性をもつものとするか(旧訴訟物論)の違いがある。なお、民事訴訟法における手続的紛争解決は、実体法の理念と行為規範性への影響は直接的ではない。(民事訴訟法は大改正されたため、以下とは別に、最新の刊行図書または改正の沿革を参照されたい)
=====単行本=====
*兼子一『民事訴訟法』(弘文堂,1996)
*:著者は、東大教授,弁護士を歴任した訴訟法学者。
*小山昇『民事訴訟法』(青林書院,2001)
*:著者は、北大名誉教授の民事訴訟学者。
====刑事訴訟法====
刑事訴訟法は、刑事事件の真実解明と当事者的公正裁判を実現する手続法と言われる。一般に手続法は、認定的法効果を主な機能とするが、特に、刑事訴訟法は、実体法である刑法の内容を専権的に実質化する唯一の法である点に、精密司法の根拠が求められる。この実体法に対する実質化機能の直接性は、私法に対する手続法の日常的かつ非手続的法現象への間接的効果との大きな違いである。これは、刑事的規制対象の非日常性(反社会性)による。
=====単行本=====
*団藤重光『刑事法』(勁草書房,1956)
*:本書は、刑法および刑事訴訟法について解説している。一般社会への反価値的行為に対する刑事法全体の作用を概観している。
*平野龍一『刑事訴訟法』(有斐閣,1958)
 
====国際法====
====経済法====
====社会法====
 
===法学入門の諸相===
法学入門では、広くさまざまな法の基礎的知識を与えられる印象がある。これは法学がその構成上、年代が下がるにつれて整理追記的(トップダウン形式・演繹的説明)に内容が豊かになったためである。この整理追記的方法は、さまざまな法的用語ないし法概念の外延関係的理解に役立つもので、他の社会科学の説明にも広く用いられている。しかし、法概念は、説明され、その内容を知ることに留まらず、常に変動可能性のある社会生活実体関係そのもの、平たく言えば、社会生活手段そのものであるから、(法)概念それ自体を目的化できないという、他の社会科学、例えば、社会学等と異なった性質がある。そのため、法の性質が十分に考慮されなければ、諸概念の理解が浅くなってしまう恐れはある。以下、実定法の学習上、欠くことの出来ないことがらについて、「法を知る」・「法を考える」ことがどのようになされていくのか、若干を述べる。
 
さて、法学入門において、「法を知る」ことは、学理的にみると、法のふたつの異なった性質を知ることから始まる。ひとつは、学習者をはじめ多くの人の日常的行動や報道される事件を、法を通して、改めて見ることにある。例えば、買い物や物の貸し借り、話題性の高い不祥事や刑事事件など、これらが法によってどう扱われるか、言い換えると、私たちが日ごろ、当たり前のこと、あるいは、避けるべきよくないことと済ましていることを、権利・義務あるいは法益侵害という法固有の概念を使い、当事者的関係の観点から明かしていく、法的な社会分析を提示して法の性質を理解させることである。もうひとつは、法の個々の条文の意味するもの、すなわち、法規定の意味を適用された判例から知ることである。個々の条文の意味することを知ることとは、条文がどのように使われているかを知ることである。そしてこれは、日常での話し方や言葉の使われ方を知ることと似ている。例えば、言葉として「ありがとう」,「すみません」は実社会のどの場合そしてどの場面で使われるのかは、それが使われる個々の場の状況の多くのことを理解しなければならない。「ありがとう」,「すみません」どちらも「ありがたいが迷惑」,「すみません助かります」とよく耳にする言葉からも分かるように、言葉の持つ意味は一様ではないが、これは言葉の使われる具体的な場面の状況の理解によっている。判例の学習が、判決書類や資料等多くのドキュメントに目を通さなければならないのは、法、特に条文の持つ、言葉と同じ性質によるのである。
 
ところで、法は、社会規範のひとつと説かれることから、「〜をしてもよい」,「〜をしてはいけない」と大きくふたつの行動を言明する形で条文に表れる。しかし、これら条文に示された行動がどの程度のもの、つまり、行動の種類と範囲について、条文の表現から分からない場合は多い。このため、「法を知る」学習段階では、ひとつの事件である判例をまるごと理解して、言わば、判例法的な条文の理解(条文の全体的理解)を深めていく。つまり、条文を構成する権利・義務あるいは要件・効果の内容を、言わば作用/反作用の一組のプロセスとして理解する。法の意味は、ここで既に判例による条文解釈で部分的にも明らかにされているのである。しかし、判例による条文解釈は、社会の移り変わりによって妥当性が後退し、いわゆる判例変更が行われることもある。また、別に、法の制定事情などから、法の欠缺でなくても適用の妥当性の低い条文の解釈が行われる場合もある。法学入門における学習が「法を知る」ことから「法を考える」段階になるのは、この時からである。「法を知る」段階では法解釈の類別的検討(文理解釈や拡張解釈など)による条文解釈の評価・検討は行われない。それは、現に行われる法について可能な限りの知見を得るためである。しかし、止まることない社会の移り変わりの中で、少しでも不分明な未来的予測を法の解釈に求めようとするときには、法解釈,判例解釈、そして、 法律論(三段論法)について学理的な展望が必要になってくる。
 
====法解釈====
法学入門において「法を考える」ことは、法解釈、とりわけ、文理解釈・縮小解釈・拡張解釈・反対解釈・勿論解釈・類推解釈など、条文表現の字句について国語的意味から経験的意味に向かって、条文の一般的意味付けの試みから始まる。これ自体は最小限の基礎法学習であり哲学的思考となる。この学習段階は、学習者自身が今まで身に付けてきたさまざまな社会的知識と社会的経験を基にして連想力の訓練が行われる。
 
例えば、「ひとりではいけない」という字句の意味を考えてみよう。これは「〜いけない」となっているから字句全体として禁止の趣旨であることが分かる。そして、この禁止の条件は「ひとり」と「では」のふたつの言葉ないし言い方に拠っていることが分かる。そこで、先ずは「ひとりでは」の条件は、量的に「1」であり、量的に「1」でなければ条件に当てはまらないことをこの字句を見たままに判定する。この場合、前者は文理解釈、後者は反対解釈と呼ばれるが、この字句の解釈について、量的に「2」より多いならば、すなわち、ふたりや三人、更に、数人であれば条件に当てはまらず禁止の趣旨に適う行為になると考える。なお、形式的には量的に「1」ではないものは、この「2」以上のほかに「0」を考えることができる。この「0」は、「誰も」行為をしないということであり、この字句の規定内容について一切関わっていない状態のことであるが、これは、行為しないことは字句の趣旨、つまり、禁止規定(作為のないこと)に合致していることの意味である。
 
では、次の例はどうなるだろうか。「ここから先は、ひとりで行ってはいけない」これは、上にみた例に「ここから先は」と「行って」が条件に加わっている。上の例では、文理解釈と反対解釈は、概念上、全体を構成する一対の意味の総和であった。つまり、上の例では、縮小解釈や拡張解釈の概念を用いる必要はなかったが、この例では、新たな条件が加わることで、観念的な解釈から具体的な解釈を考える一歩を踏み出すことになる。言い換えると、上の例では字句の表現そのものに重点あり、この条件が加わった例では字句表現の事実、つまり、字句表現とそれが指し示す事実の在り方に重点がある。さらに、事実の在り方は、この例の場合、「ここから先」の字句からも分かるように、或る基準の前後でふたつの状態があり、それぞれに「ひとりで」の字句がどう関わるのか、それは、後の状態から「ひとりで」が条件化されると考えられるが、この例の対象がひとりの人であった場合の「ひとりで」の意味から前の状態をも考えることになる。そうすると、或る人が、どこからかひとりで来て、そして、ここから先はひとりで行ってはいけない、ということだけを考えると、この例は、この或る人にとっての禁止を意味することになる。また別に、何人かのうちの或る人が、どこからか皆と一緒に来て、そして、ここから先はひとりで行ってはいけない、と考えれば、この例は、この或る人にとっての制限を意味することになる。つまり、この例の条件以前の対象の状況ないし状態を考えることによって、条件と対象の関係的性質を理解するとともに、字句解釈の一側面というものを理解する切っ掛けとなる。次に、この例の字句を言い切った後の状況、例えば、この例を、確実な伝達を目的とするものであったとして、伝達されたものの評価を得てから遡って「ひとりで」の意味を改めてみてみると、どこからかひとりで来た人の場合、「ひとりで」の字句そのままの意味、つまり、字句は指示であることが分かる。なぜなら、この人は、この字句の条件について関係する他の人はいないからである。他方、どこからか皆と一緒に来た人の場合、「ひとりで」の字句は、この人が条件について関係可能性のある他の人がいるため、伝達確実性の目的によって、「ひとりで」の字句の意味は「ひとりであることの不確実性」と実質化され、場合によっては「ふたりで」あっても制限される可能性を持つことになる。この場合の字句は指示ではなく例示となる。この例からも一瞥できるように、字句の解釈は、字句を用いることになった目的によって(目的解釈)、同じ字句は文理解釈ともなり、また、縮小あるいは拡張解釈ともなる。
 
では、次に、「合意がなければならない」という字句の意味を考えてみよう。この例は、先に揚げたふたつの例と大きく異なっているところがある。それは、「合意」とあるところから分かるように、この字句は名宛人がひとりではなく少なくともふたりであること、すなわち、先の例よりも社会性の強い字句である。「合意」とは、普通には、相対する人同士の意思の合致を意味するが、相対する人たちのどういう状態を以って意思の合致と言えるのかは一通りではない。注意すべきは、一般的な「意思」という言い方は総称的なものであり、実体は、(各自の)意思+(各自のその)意思の解釈+(その)解釈に拠った言明という三つの部分から成り立っている。或る人が、或るものごとを(必要と感じて)欲し+その或るものごとは、それを取りまく状況でどのようなものかを(出来事上、改めて)自ら解釈し+その解釈を、自らの経験から適当と思う言葉等で相手に伝えようとする。つまり、意思は何らかの言明によってはじめて相対する人に伝わるもの(必ずしも理解されるのではない)であるということである。…
 
====判例解釈====
====法律論(三段論法)====
法律論がどのようなものなのかを知るために、先ずは、法律論とそうでない議論を識別ないし区別するための指標を学ぶ。言い換えると、これは、法律論であるための性質を表し、かつ、法律論のコアである、利益ないし法益に関しての比較考量(衡量とは異なる)の概念を理解することである。…
 
==新しい法学へのアプローチ==
法学は、社会科学の中でも実学的性質の高いものであるから、他の学問領域の方法論を応用して、「学」としての法学の発展ないし水準を高めることは、その教義的性質からも容易ではない。この学問的発展の特異性は法学の特徴でもあるが学理従事者のジレンマでもある。しかし、明治期以来の法学研究において、例えば、大正ないし昭和初期の刑事法(牧野英一博士)、また、戦後昭和期の民法学(川島武宜博士)では、理論的提案が精力的にされてきた経緯がある。これらの提案は、法実務との距離感から、直接的に法実務へ全面的に採用されることはなかったが、様々な学理的批判を通して、或いは一部の理論的帰結が、また、或いは法規定の背後にある市民的社会意識への視点を開くことにより、法実務へ資してきた。これは、学理従事者が、法学の伝統性へ敬意を払いつつも、常に、新しい法学へのアプローチを志向していたことに外ならない。新しい法学とは、定義不能な概念であるが、以下には、所謂、伝統的法学から理論的に新しいアプローチをしたと思われる学理従事者のうち、戦後荒廃期の影響を脱した昭和四十年代以降の著作および戦後生まれ世代のものの若干を揚げる。
===各法分野===
====憲法====
*松井茂記『日本国憲法(第三版)』(有斐閣,2007)
*:本書は、プロセス観より憲法規定の性質を捉えたもの。憲法効力の間接性、すなわち、法令のバロメーター総体としての憲法を考察する上で、有用な示唆を与える。
====民法====
*大村敦志『生活民法入門 暮らしを支える法』(東京大学出版会,2003)
*:本書は、民法解釈の時代性をプロダクトコンセプトおよび生活社会から捉えたもの。私法の基本法である民法の時代変遷上の解釈妥当範囲を考察する上で、有用な示唆を与える。
====刑法====
*藤木英雄『新しい刑法学』(有斐閣,1974)
*:本書は、犯罪の法益侵害性およびその社会的害悪観の時代性について、現代社会での新たな犯罪現象の観察から犯罪の本質を実質的に捉えたもの。法益や不法の概念と意味を考察する上で、有用な示唆を与える。
 
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