「日本語/構文」の版間の差分

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;;お金持ちのひとに親切な男が近づいてきたよ
 つまり多義的な文とは、表面的には同じかたちをしているものの、複数の構造を持つ文のことである。
参考文献:時枝誠記『日本文法口語篇』
 
 
===文の成分===
文はあるはたらきを担う文節・連文節から成り立っている。そのような文節または連文節を成分という。例えば
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;;太郎がフィアンセにキスし、次郎も_キスした。
という時には、太郎と次郎はそれぞれ自分のフィアンセにキスしたという解釈と、次郎が太郎のフィアンセにキスしたという解釈の二通りがある。
参考文献:Hoji, Hajime.
 
===複文と同一名詞句削除===
次の文では、省略と一見似ているが性質の異なるような成分のなくなり方が見られる。
;;娘たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている
この文は複文であるが、ちょうど次の二つの単文を組み合わせたようなかたちをしている。
;;娘たちがおしゃべりをしている
;;娘たちがお菓子を食べている
しかしこの場合、重文に見られる省略とは異なり、代用表現の出現は不可能である。
;;娘たちが、彼女たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている
;;彼女たちが、娘たちがお菓子を食べながらおしゃべりをしている
このような複文では、対応する二つの単文の主部のうちの片方が必ずなくならなければならない。このようなものを同一名詞句削除という。
同一名詞句削除は、A類従属句と呼ばれる従属句では一般に見られ、また、使役文などにも見られると考えられる。
A類従属句には格助詞「が」を伴う主部が現れない、と一見特徴付けることができそうだが、これは正しくない。例えば、身体の全体ー部分の関係にある主部が複数現れるような単文をもとにした場合、
一つの主部だけが消える。
;;彼は、意識がかすみながら崖を転がり落ちていった。
参考文献:南不二男『現代日本語文法の輪郭』
 
===複文:可能文===
次の文を考えてみよう。
;;彼女には片目だけつむることができない
この文は多義的である。一つの解釈は、右か左のどちらか、つむろうとしてもできない、という解釈である。もう一つの解釈は、目をつむろうとするとどうしても両目をつむってしまう、という解釈である。この文の「片目だけ」に格助詞の「が」か「を」をつけると、解釈が前者か後者かに定まる。
;;彼女には片目だけがつむることができない(前者の解釈)
;;彼女には片目だけをつむることができない(後者の解釈)
これは副助詞「だけ」と否定の助動詞「ない」の関係の結び方が関わる。ここでまず問題にしている文が複文であり、次のような単文を組み合わせたようなものである、という点に注目しよう。
;;彼女に片目だけがXことができない
;;彼女が片目だけをつむる
これらをそのまま組み合わせると次のようになる。
;;彼女に片目だけが(彼女が片目だけをつむる)ことができない
この文の主部に同一名詞句削除が起こり、次のようになる。
;;彼女に片目だけが(_片目だけをつむる)ことができない
この文に、さらにもうひとつ、「片目だけ」という同一の名詞句が削除されなければならないが、「が」を伴う名詞句が残った場合、「できない」の連用修飾成分となる。
;;彼女に片目だけが(_ _つむる)ことができない
一方「を」を伴う名詞句が残った場合、「つむる」の連用修飾成分となる。
;;彼女に_(_片目だけをつむる)ことができない
詳細はここでは省くが、両者のうち、「つむる」の連用修飾成分の場合に「片目だけじゃない=両目」という解釈になる。
さて、以上の話は可能の助動詞を持つ次のような場合にもそのままあてはまる。
;;彼女には片目だけ{が/を}つむれない
このような文は単文のように見えるが、解釈の特性を踏まえると複文と考えることができる。また、伝統的に可能のe/rareは他の助動詞と同じカテゴリーに含められていたのを、時枝誠記は動詞と同じ「詞」に所属を変更させたが、可能の助動詞が自立した述部と同じように複文を構成する点はこの考えと折り合いがよい。
 
参考文献:Masaki, Sano.1989.A Condition on LF Representation, Tsukuba English Studies 8.
 
== 構文 ==