「中国史」の版間の差分

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中国最古の王朝としては、伝説上では[[w:三皇五帝|三皇五帝]]や[[w:夏 (三代)|夏]]が知られている。しかし、実在が確認できるのは殷だけである。殷では、王が占いによって政治を行っていた([[w:神権政治|神権政治]])。また制度については奴隷制国家であるという説と、封建制の嚆矢だとする説がある。
 
紀元前12~11世紀頃に殷を滅ぼした周は、各地の有力者や王族を[[w:諸侯|諸侯]]として、土地を与えた。これを[[w:封建制|封建制]]という。しかし、周王朝は徐々に弱体化し、異民族に攻められ、[[w:紀元前770年|紀元前770年]]には、宗周(鎬京・後の長安)から成周(雒邑・後の洛陽)へ[[w:遷都|遷都]]した。これ以降を[[w:春秋時代|春秋時代]]と呼ぶ。春秋時代には、周王朝の権威はまだ残っていたが、[[w:紀元前403年|紀元前403年]]から始まるとされる[[w:戦国時代 (中国)|戦国時代|]]には、周王朝の権威は無視されるようになる。
 
[[w:春秋戦国時代|春秋戦国時代]]は、諸侯が争う戦乱の時代であった。しかし、各諸侯国は[[w:富国強兵|富国強兵]]に努め、商工業が発達し、[[w:貨幣|貨幣]]も使用されるようになった。また、この時代に[[w:鉄器|鉄器]]が普及したこともあいまって、農業生産も増大した。また、このような戦乱の世をどのように過ごすべきかという思想がさまざまな人たちによって作られた。このような思想を説いた人たちを[[w:諸子百家|諸子百家]]という。諸子百家の中でも、[[w:道家|道家]]や[[w:孔子|孔子]]・[[w:孟子|孟子]]に代表される[[w:儒家|儒家]]は、後の[[w:中華思想|中国思想]]の中心となった。