「中学校社会 歴史/鎌倉時代」の版間の差分

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人名に読みを併記。地名に読みを併記。合戦名に読みを併記。頼朝の肖像画像を追加。末尾に画像ギャラリーで親鸞と道元の画像を追加。
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==概要==
鎌倉時代は1192年~1333年の約140年間を指す<ref>鎌倉時代(鎌倉幕府)の成立は1185年という有力な学説があるが、中学校の歴史教科書では一般に1192年説が採用されているため、こちらを採用している。</ref>。源頼朝(みなもとの よりとも)が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となって鎌倉幕府を開き、源氏(げんじ)が3代で滅亡した後は北条(ほうじょう)氏が執権(しっけん)となって政治を動かした。途中、2度の元寇(げんこう)があったがこれを退けた。しかし、幕府に不満を抱いた御家人(ごけにん)を集めた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)によって幕府は滅ぼされた。また、文化においては、簡素で力強い作品や大衆向けの仏教の宗派が現れた。
 
== 鎌倉幕府の成立としくみ ==
 
=== 源平の内乱 ===
[[ファイル:Minamoto no Yoritomo.jpg|250px|thumb|源頼朝(みなもとの よりとも)と伝えられる人物画。]]
平安時代末期、政権をにぎっていた平氏(へいし)に対する不満が高まった。その中で、1180年に以仁王(もちひとおう)が挙兵し<ref>以仁王自身は平氏との戦いで敗死した。</ref>、諸国の武士に「平氏を討伐せよ」との命令を出した。同年、平治の乱(へいじの らん)に敗れて伊豆(いず)に流されていた'''源頼朝'''(みなもとの よりとも)、ついで木曽(きそ)の'''源義仲'''(みなもとのよしなか、'''木曽義仲''')らがこの命令に従って挙兵した。源頼朝は石橋山の戦い(いしばしやまの たたかい)で大敗したが、その後、有力な武士を味方に付け、鎌倉を中心に関東の支配を固めていった<ref>このころ、源頼朝のもとに、奥州藤原氏(おうしゅう ふじわらし)のもとにいた弟の源義経(みなもとの よしつね)が合流している。</ref>。そのころ、源義仲は平氏を京都から追い出すことに成功したが、朝廷後白河上皇(ごしらかわじょうこうとの対立を生じていた。後に、朝廷は源義仲追討の命令を出し、義仲は源頼朝の命を受けた'''源義経'''(みなもとの よしつね)らに滅ぼされた。一方、平氏も力を盛り返し、京都に攻め上ろうとする勢いを見せ始めた。しかし、源義経らが平氏を'''一の谷の戦い'''(いちのたにの たたかい)および'''屋島の戦い'''(やしまのたたかい)で破り、'''壇の浦の戦い'''(だんのうらの たたかい)で平氏を滅亡させることに成功した。
 
* 伊豆(いず) - 現在の静岡県
* 木曽(きそ) - 現在の長野県
* 石橋山(いしばしやま)、鎌倉(かまくら) - 現在の神奈川県
* 一の谷(いちのたに) - 現在の兵庫県
* 屋島(やしま) - 現在の香川県
* 壇の浦(だんのうら) - 現在の山口県
 
==鎌倉時代の文化==
鎌倉時代には、文化の担い手は主として公家(くげ)や僧であったが、やがて、かざり気のない力強さを好む武士の気風が文化のうえにもあらわれた。これを'''鎌倉文化'''(かまくらぶんか)という
 
===鎌倉仏教===
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|-
| rowspan="3" | 浄土信仰
| '''浄土宗'''(じょうどしゅう)
| '''法然'''(ほうねん)
| style="text-align:left" | ひたすら念仏(ねんぶつ)を「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ唱えることで、極楽に往生できると説いた。<ref>正確には、平安時代末期に開かれている。</ref>
|-
| '''浄土真宗'''<ref>一向宗(いっこうしゅう)ともいわれる。</ref><br>(じょうど しんしゅう)
| '''親鸞'''<ref>親鸞は法然の弟子であったが、法然の教えをさらに突きつめ、浄土真宗を開いた。</ref> <br>(しんらん)
| style="text-align:left" | 自分が悪人であると自覚した人こそ、阿弥陀仏は真っ先に救おうとする、と説いた<ref>この考えを「[[w:悪人正機|悪人正機説]]」(あくにんしょうきせつ)という。</ref>。
|-
| '''時宗'''(じしゅう)
| '''一遍'''<br>(いっぺん)
| style="text-align:left" | 踊り念仏(おどりねんぶつ)を広めた。
|-
| 法華経信仰
| '''日蓮宗'''<ref>法華宗(ほっけしゅう)ともいわれる。</ref> <br>(にちれんしゅう)
| '''日蓮'''<br>(にちれん)
| style="text-align:left" | 題目(南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と題目(だいもく)を唱え、法華経(ほっけきょう)を信じると救われる、と説いた。
|-
| rowspan="2" | 禅宗(ぜんしゅう)
| '''臨済宗'''<br>(りんざいしゅう)
| '''栄西'''<ref>喫茶の習慣を日本に伝えたとされている。</ref><br>(えいさい)
| style="text-align:left" rowspan="2" | 坐禅(ざぜん)によって悟りを得られる、と説いた。
|-
| '''曹洞宗'''<br>(そうとうしゅう)
| '''道元'''<br>(どうげん)
|}
 
==脚注==
<references />
 
== 画像 ==
<gallery widths=200px heights=200px>
ファイル:ShinranShonin.png|親鸞(しんらん)
ファイル:Dogen.jpg|道元(どうげん)
</gallery>
 
 
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